壊れゆくメロディ

欲望の根源

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フロイトはすべての欲望の根源をリビドーと言い、それを性欲に一元論化しようとした。欲望は機械仕掛けで、精神の異常というのは機械の調子狂いのようなものだ、と彼は考える。リビドーの流体力学が人間の心をまるで機械のように組み立てる、とフロイトは言うのである。のちにフランスの哲学者ドゥルーズはそのフロイトの言葉を受けて『欲望する機械』という概念を表す。ともあれフロイトの提唱した精神分析学は斬新で、性的欲求の存在を明らかにすることで潜在意識は意識にも勝るという彼の思想は多くの人々の共感をよんだ。「我思う。ゆえに我在り」と自己の意識の存在によって自己の存在を証明しようとしたデカルト哲学への、それはアンチテーゼともなった。フロイトの斬新さは一世を風靡し、やがて彼は時の人となる。人々は彼の思想を知ろうとした。『精神分析学入門』は飛ぶように売れ、各大学は彼に講演を依頼した。しかし時期がたつにつれて、ゆがみも生じた。性欲一元論化というリビドーの考えが強烈すぎるためか、それともフロイトの持つ個性の強さゆえか。フロイト学派はユングをはじめとする多くの弟子たちの離反をうみ、やがて様々な異端思想の萌芽ともなる。これ以降、弟子たちはフロイトの学説をもとにそれぞれの思想を取り入れた新しい学派をつくり、互いに反発しあいながらも、新しい心理学研究の礎を築くこととなるのである。そうした精神分析学の歴史の中、最も異端であったのがライヒかもしれない。ヴェルヘルム・ライヒ。オーストリア出身。彼はフロイトの思想のうち性的欲求について最も共感した人物の一人であった。ライヒは性欲というものをエネルギー化して活用しようと考え、オルゴン理論というものを提唱した。オルゴンとは自然界に充満する気のエネルギーのことで、それは性的絶頂と深いかかわりを持つというものである。何やらイモリノクロヤキと一脈通ずるような彼の思想はフロイトのリビドーよりもさらに過激であるとみなされ、まず師のフロイトに嫌われた。そして彼は所属したオーストリア共産党から嫌われ、ナチスドイツから狙われ、亡命先のノルウェーを追放され、最後はアメリカで詐欺師として投獄されて獄死した。幼少期に父母に相次いで自殺されたことから始まったライヒの人生のなんとも哀しい末路である。性の解放ともいうべき思想を持って生きた彼は、今もって似非科学者の烙印を押されている。しかし一方、ラブアンドピースを旗印に掲げマリファナを吸ってギターを弾いた六十年代のヒッピーたちには高く評価されたらしい。そして現在もライヒ学派の科学者がアメリカや東京で少ないながらも活躍している、ということである。何やら変な結びになるが、とにかくフロイトの弟子にそんな人物もいたということである。

欲望の根源、というものについて考えながら、ハイデガーの著書『存在と時間』をペラペラとめくる。欲望の根源にあるもの、それは死の恐怖からの逃避ではなかろうか、と、この著書の中にそのような言葉があったような気がしたからである。『存在と時間』それはそれまでそうであることが当たり前とされてきた大前提「存在する」ということについてドイツの哲学者ハイデガーが考証を重ねた名著であるが、中盤以降は死に関しての考察により多くのページを割いていることでも知られている。人間は常に死を意識して生きねばならない、というような、そうでなければ頽落してしまう、というような、そのような趣旨でそれは書かれていたように思う。憂鬱や気だるさ、そういった気分が突然襲ってくる影に、逃れられない死の恐怖というものがあるというような。それで、なんだっけ?

私の思考は突然霧散し、とりあえず読書でもしようということになり、なので今日はここまで。


(イラスト:堂野こむすい km1607-001-12『赤鯛』)

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このページは、komusuiが2016年8月17日 11:04に書いた記事。

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