壊れゆくメロディ

2015年5月アーカイブ

色彩都市計画

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今回の殺人事件について詳しく話していただけませんか? と、タウトは大きな葉巻をくわえ、私と老人に問いかける。しかし私たちは話すべき言葉をどこにも持たない。何故なら殺人事件などどこにも起こらなかったのだから。

二頭立ての馬車が煉瓦造りの街中を砂煙をあげて走る。ケーニヒスベルク土木建築学校の校舎前にある小さな珈琲店。

タウトの誘いに応じ、私と老人はテーブルにつく。

「事件がなかったなんて嘘でしょう? だってあんなにたくさんの目撃者がいるというのに」

私は窓の外を眺める。往来には多くの人が行き交っている。時代も人種も空間もすべて混ぜこぜに。

と、不意に一人の男が人ごみをかきわけ、東方よりかけてきた。そして私たちの見る前でナイフを取り出し一人の女を刺した。女は血を流して死んだ。 男は叫んだ。 「聞け愚民ども。このオレが嫉妬に身を焼くように見えるか? 月の満ち欠けにつれて、次から次へと新しい疑いをつのらせる男だと思うか? 見くびるな。オレは疑いが生じたら即座にそれを解いてみせる。喜んで山羊にでもなってやるぞ。お前の言うような、そんな根も葉もない憶測で心を悩ますくらいなら。断じてオレは嫉妬などおこさんぞ。妻が美人だと言われようと、交際好きで話し上手で、歌も楽器も踊りもうまいと言われようと。けっこうではないか。操さえ正しければ、かえって、あれを引き立てる。オレにしても、自分に引け目を感じて、もしや妻がそむきはしまいかなどと、疑ったり恐れたりしない。妻は自分の目で、このオレが選んだのだ。いいかイアーゴ。オレは疑う前にまず見る。疑えば証拠を探す。証拠があれば道はただ一つ。愛を捨てるか嫉妬心を断つかだ」

まわりの者たちが男を囲んだ。男は暴れもせず簡単に取り押さえられた。

「これでも殺人事件はなかったというかね?」タウトは私たちをじっと見た。

「オセロ将軍は処刑となるだろう」老人は答えをはぐらかし、珈琲を飲みながらただそうつぶやいた。

タウトは不思議そうに老人を見た。

「あなたはここに至ってまだ殺人は見なかったと言い張るのかね?」

老人は知らん顔であらぬ方向を眺めている。

老人とタウトのやり取りを聞きつつ、私は「シェークスピアの悪意」について考える。どの物語にも、その根底に流れているものは悪意。シェークスピアの前に救いはない。

イアーゴ、イアーゴ。

殺人はあったのかも知れないし無かったのかも知れない。

タウトはいらつき机をコツコツ叩いていたが、「もういい」と叫んだかと思うと伝票を持ってレジに向かった。

私と老人は無言のまま、窓から血まみれの路上を見ていた。

それは美しい赤。ここは色彩都市。

私たちはここで珈琲を飲む。美しい褐色。そう、ここは色彩都市。

数日後、トルコ建設省企画室のタウト室長の死が新聞に小さく報じられていた。

マクデブルク色彩都市計画。

殺人はあったのかなかったのか。それは誰も知らない。


イラスト:堂野こむすい va1505-004『色彩都市』)

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