粉雪が少し舞っています。


 十干(じっかん)覚書として。甲(きのえ)はヨロイ。草木の種子を覆う厚皮。種子がまだ厚皮を被っている様子。乙(きのと)はキシル。草木の幼芽がまだ伸びていない屈曲の様子。丙(ひのえ)はアキラカ。草木が伸びて形体が明らかになった様子。丁(ひのと)はサカン。草木の状態が充実した様子。戊(つちのえ)はシゲル。草木が繁茂して盛大になった様子。己(つちのと)はスジ。繁茂した草木の条理が整った様子。庚(かのえ)はアラタマル。草木が成熟して行き詰まり、道を変える様子。辛(かのと)はアタラシ。草木が枯れてまた新しく生まれ変わろうとする様子。壬(みぬのえ)はハラム。草木の種子の中に新しいものが芽生える様子。癸(みずのと)はハカル。草木の種子が測れるほど成長した様子。次に十二支(じゅうにし)覚書として。子(ね)はフエル。新しい命が萌し始める様子。丑(うし)はカラム。萌芽が趣旨の内部に生ずるがまだ伸びぬ様子。寅(とら)はウゴク。草木の発芽する様子。卯(う)はシゲル。草木が発芽して地を覆う様子。辰(たつ)フルウ。雷が光り草木が伸長する様子。巳(み)はヤム。万物が繁盛の極を示す様子。午(うま)はサカラフ。万物が衰退の傾向に変わる様子。未(ひつじ)はアヂハヒ。成熟を過ぎた万物が滋味を生じた様子。申(さる)はウメク。成熟した万物が固まっていく様子。酉(とり)はチヂム。成熟した万物が極限に達した様子。戌(いぬ)はホロブ。万物が滅びゆく様子。亥(ゐ)はトヂル。万物が凋落し、生命が種子に内蔵された様子。来年の君合わせは乙と巳となり、努力を重ね、物事を安定させていく年になるという。ちなみに今年は甲辰の年。成功の芽が誕生し、姿を整えていく年であったそうである。


 巫女型の祭りにおける神様は、性交・受胎・出産と、人間と同じ過程を経て現れる。そしてこの世に迎えられ、祭りの期間滞在すると常世へと送り帰される。神様は迎えられ、また送られる。日本における祭りとはそういう儀式であるらしい。巫女はこの神様の行動を擬態するものとして存在する。巫女は心身を清めるためにおこもりをするが、このおこもりの間に一連の手順が行われるのである。おこもりはつまり神様が母の胎内にいるという状態で、神様はこの世に降臨するために、その狭さや暗さに耐えながら待つのである。おこもりの行われる場所は原始信仰の頃は東西軸の中央にある穴であった。信仰が陰陽五行説と融合してからは「子」の位置、すなわち北へと移動した。陰陽五行説以降はこの「子」の位置が祭りの出発点となる。そしてその神様がいよいよ顕在化するのは「卯」の位置、すなわち東となる。おこもりで身を清めた神様は東からやって来るのである。神様が東からやって来るという考えは太陽信仰からも導き出されたようである。古代の太陽は東で産まれ、一日の間この世で暮らし、やがて常世へと帰ってゆく。常世とはすなわち死の世界であるから、太陽は一日を終えると死ぬ、ということになる。死んだ太陽は穴に入る。そして洞窟にこもる。穴は女性の身体にあり、太陽はその穴に入るのである。穴に入る太陽は蛇の姿である。そして太陽は疑似母胎である洞窟の中で身を清め、再び生命を宿し、東から生まれ出づるのである。巫女型の祭りにおけるおこもりの儀式は、巫女が神様を迎え入れ、胎内に神様そのものを宿し、やがて巫女そのものが神様となって現れる、(性交・受胎・出産)という一連の手順を巫女が演出するものなのである。


 日本の祭りには蛇型と巫女型があり、もともとの原始的な祭り(蛇型)が、徐々に洗練されて巫女型に進化していったという。男女の祖先神として、蛇をそのまま顕在化させるのが蛇型の祭りであり、男の祖先神(蛇)と、その相手役としての巫女の絡みを描くのが、巫女型の祭りというわけである。蛇型の祭りで用いられるご神体は縄で作られるものが多く、神社にいけば必ずあるしめ縄も二匹の蛇の絡み合った姿と言われれば、なるほどそうかもしれない。そうである。もともとはしめ縄だけで神様であったのだ。そのしめ縄がさまざまなモノと絡み合い、神聖な空間が生まれたのだ。不気味な大岩にしめ縄を張れば、そこに神様が現れ、古い巨木にしめ縄を張れば、またそこに神様が現れた。そう考えると日本各地に祀られる八百万の神様のもとは蛇信仰より始まった、そう見て悪くない気もする。そうこうするうちに時代が下り、物語が作られるようになる。神様である蛇と、ヒメの物語である。八俣遠呂智の神話では蛇は倒される対象とされるが、オホタタネコの神話では蛇はヒメと交わる存在として描かれる。古事記には八俣遠呂智の物語が先に描かれてオホタタネコの神話はずいぶん後に描かれているが、実際の物語としてはオホタタネコの神話のほうが八俣遠呂智神話より先にあったように思う。もともと畏れ敬う対象としてあった蛇が、やがて退治される存在へと変貌していく過程が、古事記の書かれるそれ以前にあったのであろうと推察される。とまれ、時代が下り神話ができると、蛇(しめ縄)が巻かれた神聖な大岩や巨木の前に祠が建てられるようになり、それが神社となっていった。そして単純な蛇型の祭りはより複雑な巫女型の祭りへと移行していったのである。