第08話 金魚鉢の底から 002

 犬の毛と埃を払いながら立ち上がり、ヨレヨレになったスーツを引き伸ばしながら玄関先から屋内へと入った。「さて薬はどこだろう?」キッチンやリビングではない気がする。「やはり地下の書斎であろう」涼太はそう見当をつけて、忍び足で階段をおりた。昼にきた時も長い階段だと思ったが、暗闇の中の階段はまた一段と長かった。灯りなどまるでないので、ひたすら地獄の底にでも降りていくような錯覚に襲われた。そのうちオーク材の扉に突き当たったので押すと扉は簡単に開いた。そっと足を踏み入れると天窓から差し込む月明りで書斎の中は案外明るかった。「さあ、ここからだ。博士なら新薬をどこにしまうだろう」涼太はポケットサイズの懐中電灯を取り出しゆっくりとあたりを照らした。机の上にはスケルトンフラワーの丸底フラスコが並べられ、壁は一面の本棚である。本棚には本の他に瓶詰の標本や鉱物などが置いてある。「これらは素材で、たぶん完成品は引き出しか何かにしまってある気がする」涼太はそう見当をつけ、改めて本棚ひとつひとつを丁寧に照らしながらゆっくりと歩いた。そしてティラノサウルスの頭蓋骨にアンモナイトに三葉虫と様々な化石の並んでいる棚を照らした時、不意にバシッと何物かが足首をつかんだ。涼太は思わず総毛だった。そして恐怖に引きつりながら足元を見ると、暗い床の棚の下からすっと細く青白い手が伸びて、彼の足首をしっかりと握っていた。涼太は、「ひゃっ、ひゃっ」と声にならない声をあげながら尻もちをついた。犬神博士の警備装置はまるでホラーだ、と涼太は半泣きで侵入したことを後悔した。するとその棚の下からもぞもぞと手の主が姿を現し、「あら、記者さん。こんばんは」と床に座ってニコリと笑った。