ボーンコレクター 03-11

 朝焼けの百反坂を下り、ソニー工場の手前の細い道に沿って彼は大崎駅へと歩いた。ちゃぶ台からベッドに移して以降も彼女はすやすやと気持ちよさそうに眠っていたので、彼は彼女に声をかけずに家から出た。「縁あらば、また会うこともあるであろう」と、そんなことを考えながら駅の改札をくぐり始発の山手線に乗った。そして二駅、まだ人通りもまばらな田町駅のホームに降り立ち、立食い蕎麦を食べたあと、駅構内の時計を見あげると五時三十三分をさしていた。こんなに早い時間ではまだ研究所は開いていないと判断した彼は、ゆっくり散歩を楽しみながら職場へと向かうことにした。森永プラザビルの前を通り、大通りを横切って、慶応仲通り商店街を歩いた。居酒屋の並ぶ商店街はひっそり静まっていたけれど、ここかしこに喧騒の痕跡があり、前夜の賑わいが想像できるようであった。いつもなら適当なところで右折して真っすぐ研究所を目指すのであるが、その日はそのまま商店街を突き抜けて、さらに真っすぐ慶應義塾大学の横を通り抜け、綱坂へと足を向けた。綱坂の両脇、長い塀の向こうは緑で、その木々の間から瀟洒な建物が見え隠れする。右手はイタリア大使館、左手は綱町三井倶楽部と、普通の人はなかなか入れない異世界の真ん中を通り抜けるこの細い坂は、散歩するにはたいそう素敵な道であった。やがて綱坂は綱の手引き坂に突き当り、彼はそこで少し迷った。真っすぐ研究所に向かうのならば右に曲がるべきだけれど、今朝はまだ時間がたっぷりある。彼は左手に折れて、オーストラリア大使館の手前で元神明坂へと右折して、東京タワーの方面に足を向けてみることにした。芝公園をぐるりと回っているうちに、誰かが鍵を開けてくれるに違いない。