『水二棲ム』 00 プロローグ

「パタゴニアの奥地にはサ。水の底で暮らす人がいるんだぜ」と、場末の飲み屋のカウンターで小栗蘭次郎がポツリと言った。ボクは彼の顔を見て、「コイツ、またおかしなことを言いだした。人間にはエラもヒレもないのにさ?」と思ったけれど口を挟まず聞いてみることにした。この小栗蘭次郎は酔っ払いであるけれど、同時に少し有名な探検家でもある。詳しいことは知らないけれど、ガーファだかガーファムだかという超巨大コングロマリット企業(この企業がクシャミをすれば全世界が風邪をひくほどの影響力があると言われる)そんな超巨大企業の主席探検家で、「オレはそこから週に五千五百ドルの報酬をもらっているのさ」と話していたこともある。そんな巨大企業が探検家を雇って、いったい何の調査をしているのか。そこのところはまったく謎に包まれているけれど、しかしその巨大企業はこの蘭次郎の探検にそれだけの価値を見出しているということなのであろう。実際に彼はお金持ちで、服装は質素であるけれど、いつも身ぎれいにしているし、彼がお金に困っている姿をボクはかつて一度も見たことがない。会って飲む時はいつもすべて奢ってくれるし、出かける時も費用は彼が持ってくれる。そんなことをボンヤリ思ってビールジョッキを傾けていると、「あれは去年の夏ごろだったかな?」と蘭次郎は遠くをじっと見つめながらつぶやき、「オレはその夏、仕事で東南アジアに行ったのだけれど、その帰路にどういうわけかマレーシアでマヌケな男と仲良くなってしまって、そいつと関わっているうちに、なぜか南米に行く羽目になっちまって、そこで奴ら、水に棲む人々と出会ったのさ」と言った。そしてジョッキを傾けながらポツポツと、その経緯を話し出した。