悪霊荘奇譚 01-04

『古事記』の下つ巻、雄略天皇の章に、「雄略天皇があぐらをかいて琴を弾き、美しい童女が舞う」というなんとも優雅な歌謡があるが、光瑞法王はその歌から別荘に阿具良韋荘という名をつけた。『古事記』の中のそのエピソードの何とも長閑で優雅な感じを光瑞法王が愛したためである。しかし久原に売却されて、半分捨てられたようになった頃から、「あぐらゐ荘はあぶない荘」と陰で言われるようになった。人の来なくなった別荘はどんどんと荒廃し、建物内では漏水が起こり、敷地内の各所で崖崩れが起こった。自慢であったケーブルカーも停まったまま錆びてゆき、レールも壊れていった。この様子を外から眺め、悪心を起こす者も少なからずいた。「まだあの建物の中にいくつか宝物は残っているかも知れない」と考えた泥棒にとって、鎖でつながれただけの門など何の障害にもならない。鎖の上をひょいと乗り越え幾人もの泥棒が敷地内に入って行った。また廃墟や怪談好きの学生たちにとっても壊れてゆく奇観の建物は興味の対象となった。彼らも遊び半分で難なく塀を乗り越えて敷地内へと入って行った。しかし彼らはそこに入ったきり、誰も出てこなかった。「阿具良韋荘には何かある」「あれは物の怪の住処だ」そんな噂がどこからともなく流れ出し、阿具良韋荘という優雅な名前はいつしか悪霊荘と呼ばれるようになった。これは泥棒などを避けるため久原が流した噂であったかも知れないが、すっかり荒廃し廃墟的な雰囲気が遠目に見てもわかるほどなっていた別荘に、悪霊荘の名はまさにピッタリな感じに思われた。そしていつしか誰もがそう呼ぶようになり、ひょっとするとあの建物は初めから悪霊荘であったのかも知れないと皆が思うようになった。