02-05 長崎新左衛門尉意見の事 付けたり阿新殿の事 07

 日野資朝は火葬され骨のみになった。阿新は僧からその骨を受け取り、「今生の別れもできず、父上は白骨になってしまった」と泣いた。阿新は遺骨を中間に渡し、「先に高野山に行って奥の院に収めよ」と命じたのち、ひとり本間の屋敷に残った。病をいやすためと言って逗留を続けたが、その実、父に会わせなかった本間を恨み、その仕返しを考えてのことであった。阿新は昼の間は床に臥せ、病気のふりを続けたが、夜になると宿を抜け出し、本間の屋敷のあちこちを探った。寝間を見つければそこに踏み込み本間親子を刺し殺し、自分も腹を切って死のうと考えて、そうして四五日が経った。
 その夜は雨風が激しかった。こんな日に攻め込む者もなかろうと、本間屋敷の郎党たちは見張りをせず遠侍で寝ていた。阿新は好機到来と部屋を忍び出て、かねて調べて置いた本間の寝間をうかがった。ところが、その夜に限って本間入道は常の寝間にいなかった。阿新は歯ぎしりをして寝間を離れ、ふと近くの二間の部屋を見るとそこに燈火がチラリと見えた。本間親子のどちらかでもそこにいれば幸いと、阿新はそっと忍び寄り、中を覗くと父資朝の処刑をした本間三郎という者が一人で寝ていた。本間親子ではないが、父を処刑した者ならこれも敵に違いないと阿新は思った。実際に手を下したのはこの男であるから、本間入道より憎い敵かもしれないと思い定め、この男を斬ることに決めた。しかし阿新は元来が貴族の子供なので太刀を持っていなかった。敵の枕元にある太刀を奪って、それを武器にしようと考えていたが、部屋の燈火が明るすぎて部屋に入ればたちまち気づかれると思った。