02-05 長崎新左衛門尉意見の事 付けたり阿新殿の事 06

 本間屋敷の離れにひとむらの竹藪たけやぶがあり、堀が掘られて、塀で高く囲われていた。阿新は、行きかう人もまれなその牢を遠く見て、「本間入道は情けを知らぬ人間だ」と恨んだ。ほんの少し父子を一緒に置いたからとて、何の障りがあるものか。もう父は長くこの世にいられないと諦めて、せめて一目なりとも会いたいと、ただそれだけの思いであるのに。
 そうするうち、元弘二年五月二十九日の暮れごろ。武士たちが資朝の牢に入った。そして、「長くお湯も使われていない。今日は風呂をお使いください」と言って牢から外に出した。「ああ、いよいよ斬られるのだな」と資朝は悟った。そして、「せめて最後に、わざわざ都から来てくれた息子に会いたかった」とつぶやいた。武士が知らない顔をしたので、資朝はもう何も言わず黙々と言われるままに行水をした。資朝は、その朝まで自分を苦しめた雑念を振り払うよう心を向け、ただ無心になる工夫のみに専念した。夜、輿に乗せられた。そして屋敷から十町ほど離れた場所にある河原に連れて行かれた。資朝は少しも臆する風もなく輿を降り、敷皮の上で居住まいを正した。そして辞世のじゅを書いた。

 五蘊仮成形このよはすべてかりのものよ
 四大今帰空しぬこともくうにかえるのみ
 将首当白刃もってくびにはくじんをあて
 截断一陣風さいだんせよいちじんのかぜに

 年号と月日、そして名を書いて資朝は筆を置いた。斬り手はその背後に回り、一瞬で首を落とした。首は敷皮の上に落ちたが、胴体はまだ座しているようであった。