02-05 長崎新左衛門尉意見の事 付けたり阿新殿の事 03
「文武は共に天下を治めることを一番に考えているが、用い方はその時々によって異なる。世の中が平和な時ならば文を用いてさらに平和を続けることが良い。しかし世が乱れた時は武をもって直ちに鎮めることこそ肝心だ。戦乱の世界に孔孟はいらず、太平の世に干戈はいらない。そして今はどちらとお考えであるか? 武を用いる時ではないか? 異朝には文王や武王が臣下の身でありながら無道の君を討ち果たした例もあるし、我が朝でも義時と泰時は臣下であったが不善の君を流罪にしたではないか。そして世間もこの両人の行動を当然のことと認めたではないか。古い書物に『君、臣を見ること土芥のごとくするときは、すなわち臣、君を見ること寇讎のごとし』と言う。帝が我々を土芥のように見ているなら、我々は帝を仇敵のように見ても仕方ないであろう? そうしている間にも、いつ帝が宣旨を各地にバラまいて、武家追討を命じられるかも知れない。そうなれば、後悔してももう遅いぞ。我々は先手を打って速やかに帝を遠国に遷し、護良親王を硫黄が島に流すべきだ。そして謀反の中核をなした日野資朝と俊基を処罰するべきだ。こうしてこそ平和は取り戻されて幕府の安泰は続くでしょう」
長崎高資の演説は終わり、一同はその案に賛同した。道蘊はもう何も言わず席を立ち、幕府の方針は決まった。