01君は誰? 04-01

 岐礼村の話によると、数年前、二つの会社が共同で、ある画期的なビジネスモデルを開発した。一社はその特許を申請して、もう一社は永年無料でその特許を使用するという約束となった。そして二社は仲良くそのビジネスモデルを使用して経営を続けた。しかしやがて一方の社長が急死して後継者問題で立ち行かなくなり、会社を売りに出すこととなった。それを不破財閥総帥の鉄山が買った。そして整理させた書類の中にその特許があった。「総帥はその特許を我々に安く譲ってくださったのです」と岐礼村は言った。横から物部が、「あれ? 預かっただけでは?」と小声で言いかけたので岐礼村は慌ててその足を蹴り、ひやりとしながら梵天丸と蔵三の様子をうかがった。ややあって、「それで、その特許を使って、おじいさんは何を考えていたんだい?」と梵天丸が聞いた。梵天丸はどうやら物部の発言には気づかなかったようである。岐礼村はホッと胸をなでおろし、「はいはい」と、さも嬉しげに揉み手をしながら、「総帥はその特許を使用して、もう一つの会社に揺さぶりをかけて、株価が下がったところで買収し、我々に下さる予定でした」と言った。蔵三が変な顔で岐礼村を見た。「なぜ鉄山総帥がお前たちに会社を与えるのだ?」岐礼村は大きく頷いて言った。「鉄山総帥は我々を高く評価してくださっていたのです。時々冗談で、岐礼村・物部、お前たち二人でキレモノコンビだな、とおっしゃられたほどでした」梵天丸と蔵三は変な心地で顔を見合わせた。自分たちはボンクラでこいつらがキレモノ? 何だか納得いかないが、しかしこういった言い回しは確かに鉄山総帥のようである。二人が黙って考え込んでいると再び岐礼村が満面の笑みで語りだした。

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「買収する会社は御影商店株式会社。東証グロースに上場している訪問パーティー事業を手掛ける会社です」会社四季報によると、資本金は七億四千万円、従業員数五十名弱、取締役が二名で社外役員が七名。「当社の手掛ける訪問パーティーサービス事業は、東京近郊に大きな邸宅を持つ方を対象としたホームパーティの企画・演出を行います。依頼者のニーズに応えて、ハリウッド式・イギリス王室式・フランス宮廷式まど豪華な演出のほか、ミステリーやホラーなど変わった趣向の演出も行います。また邸宅のみでなくホテル・デパート・商業施設等でのパーティー演出も承ります」とある。大株主は社長の御影憲治で全体の十五パーセント。次いでメインバンクの頭取、大叔母の栄子、理事の上田などの名が続き、海外の大手証券会社の名もいくつか出ている。株価のチャートを眺めると二年前ほどには千五百円を超えるほどの高値を付けたこともあったが、現在は四、五百円あたりの値段に落ち着き推移している模様。「この高値はコロナで外出できなくなった富裕層の方々が、個人所有の豪邸で賑やかなパーティーを企画する機会が増えたため出たのです」と岐礼村は言った。蔵三はじっとそのチャートを眺めた。梵天丸は企業情報を聞きながら、「はて? 御影という苗字、最近どこかで耳にしたな?」と考えた。岐礼村は二人の顔色をチラチラと伺いながら続けた。「我々はこれから、この特許を使って株価をさらに落としてから、株を買いあさる予定ですが、如何せん、我々の資金だけでは、少し足りないのです。そこでボンクラファンドに買収を手伝って頂きたいのです」蔵三がチャートから顔を上げて聞いた。「それで我々にはどんなメリットがあるのだ?」

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 岐礼村と物部が帰ったあと、蔵三は腕を組んで唸った。「彼らの計画に乗るべきか乗らないべきか。それが問題だ。鉄山総帥があの特許事務所の二人と本当にこんな計画を練っていたのかどうか。それはやはり疑問であるが、そこにはあえて目をつぶり。オレが考えるべきは、この計画を遂行することが、果たして新総帥・梵天丸のためになるかどうか。まずはそこなのだ」ボンクラファンドは不破梵天丸が五歳の時、鉄山がその誕生日プレゼントとして与えたものであった。その際、鉄山は蔵三を常務取締役に据えて言った。「この会社は梵天丸に経営を学ばせるために創ったものだ。この会社の経営を通じて、お前はお前の知る経営の機微を梵天丸に伝えてやってもらいたい。ワシは梵天丸をお前に預ける。息子の庄太郎では駄目なのだ。お前に孫を託したいのだ」蔵三はその言葉を重く受け止めつつ、梵天丸を代表とするボンクラファンドの実質的な運営者となった。梵天丸はしかし、会社設立から十年間、まるで経営に関心を持たず、いやそれどころか世間にまったく関心を持たず、まるで冬眠したリスのようにずっと部屋に引きこもっていた。古いロカビリーやジャズのレコードを聴いて、父の書棚にある翻訳本の全集を読んで、まるで世の中と無関係に生きてきた。今回、祖父鉄山が急死したためその遺産と事業を継いで、ようやく事務所に顔を出すようになり、そして今回が経済人として初の仕事となりそうなのであるが、「さてしかし、その仕事が企業買収なんて少し灰色がかったもので良いものかどうか」蔵三は苦悶の表情で唸った。「新総帥に経営の機微を教え始めるチャンスではあるのだが」蔵三が眉間にしわを寄せて考えていると梵天丸が言った。「ボクはやりたいね」

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 蔵三はハッとして梵天丸の顔を見た。梵天丸はサングラス越しにニッと笑った。「やりますか?」と蔵三は頷いた。「やる」と梵天丸は答えた。蔵三は腹を決めて頷いた。「ではまずこの計画を遂行した際、ボンクラファンドはどれくらいの利益を獲得できるか、それを考えなくてはいけない。奴らの策略で、狙われた会社の株価はきっと暴落する。しかしそれは実際には、会社の運営の如何ではなく、奴らの言いがかりによるものだから、すぐに株価は戻ると思う」蔵三はそう言って、「わかりますか?」と聞いた。梵天丸が、「わかる」と答えると、大きく頷き先を続けた。「我々は、かの会社について何らかのニュースが出たら、そこから取引を始めるのです。ニュースが出る前に株の売買を始めてしまうと、それは奴らの話を聞いた後なので、不正取引になる可能性があるけれど、ニュースに出てしまえば世間周知の事項となるので、もう不正な取引にあたらない。ニュースによって落ちる株に、大量の空売りを浴びせて、さらに株価を落とせばいいだけです」「そしてある程度落としきったら、今度は売りから買いに転じるわけなのですが、さてこの値をいくらと読みますかね」蔵三は梵天丸に先生のような兄のような、そんな雰囲気で笑いかけた。梵天丸はチャートを眺め、難しい顔で、「ううん」と唸った。「鉄山総帥ならここで確実な買値を示されたよ」蔵三は優しい声色で、厳しいことを言った。「クラさん。ボクのおじいさんってどんな人だったんだい?」梵天丸はチャートから顔を上げて蔵三を見た。「そうだね。総帥はこれまで鉄山総帥のことをあまり知らなかっただろうからね。不破鉄山という方がどんなお方であったか、少し話してみるかな」蔵三は髭をしごいて言った。