01君は誰? 03-01

 校門から胴長のリムジンが出ると、塀の陰に隠れるようにして停まっていたオンボロの黒いマスタングがゆっくりと、その後ろをつけるように動き出した。運転席には小太りの紳士、助手席にはひょろりと背の高い紳士。どちらもアルマーニのスーツを着込みボルサリーノのソフト帽をかぶり、ギャング映画の悪漢のような目つきで、ゆっくり走るリムジンの後部座席を睨みながら、静かに後をつけた。梵天丸と蔵三を乗せたリムジンはその怪しげなマスタングに気づいた様子もなく、威風堂々と大通りを走り、やがて左手に細い一方通行の裏路地が見えると、ウインカーをチカチカと出して左折した。マスタングの二人組は躊躇した。すぐに角を曲がってもいいが、それだとリムジンに気づかれる恐れがある。二人は大通りの端にマスタングを寄せ、一言二言、言葉を交わしたのち、ゆっくりと二十秒を数えた。そしてブレーキペダルから足を外し、その細い路地の奥へと車を滑り込ませた。と、そこは古びた雑居ビルがゴチャゴチャと並ぶビジネス街であった。狭い裏路地は縦横無尽に張り巡らされ、いくつもの分岐点は、ちょっとした迷路の様相を呈していた。その古びたビジネス街の中、リムジンはすでにどこかの角を回ったようで、影も形も見えなかった。「どうする?」と運転席の小太りが、雑居ビルの前の小さな広場に車を停めて聞いた。助手席のノッポは少し考え、「奴らがわざわざこの一画に車を乗り入れたということは、ここらに用事があるに違いない。そうそう広い街でもあるまい。しらみつぶしに調べれば、きっと見つかるさ」と答えた。小太りが、「よし」と言ってブレーキペダルから足を離そうとした、と、その目の前に金髪の少年が立っていた。

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「何か用事かい」と金髪の少年、梵天丸はマスタングの車内をフロントガラス越しに覗き込んで笑いかけた。ノッポの男は目を丸くして車から飛び出し、「総帥、お会いできて光栄です」とボルサリーノを手に持って頭を下げた。「お前たち、不破エンタープライズの人間なのか?」と蔵三が運転席側のドアの前に立っていた。「エンタープライズではないのですが」と運転席の小太りは慌てて窓を開けて言うと、「ま、まあ。不破財閥の関係者です」とノッポが後を引き継ぐように答えた。蔵三が髭をまさぐりながら、「ふうん」と言って運転席の小太りと車の外に立つノッポを代わる代わる眺めていると、「せっかく来たんだから事務所に来るかい?」と梵天丸は言い残し、オンボロな雑居ビルに入って行った。その背中を小太りがポカンと見ていると、蔵三は車の天井をポンと叩いて、「ビルの地下に駐車場がある」と言って顎をしゃくった。小太りの男はブレーキから足を離してゆっくりと、マスタングを地下の駐車場に滑り込ませた。小太りが黒い鞄を抱えるようにして地下から階段を上ってくると、「じゃあ、付いてきな」と蔵三は二人の先に立って雑居ビルに入って行った。ノッポと小太りはキョロキョロとあたりを見回しながら後について入った。中には不破第四十八ビルという表札が掲げられ、案内板の四階にボンクラファンドの名があった。「ここが?」と小太りの男は小声でノッポに耳打ちし、不審げな顔をした。ノッポの男もボルサリーノを目深に被り、「とても何百億円という金を一日で動かす会社の事務所には見えないな」とボソボソと言った。「四階まで階段だ」と蔵三が振り向いて言った。「え、エレベーターはないのですか?」二人が目をむいた。

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 普段の運動不足が祟って、四階まで階段を登ると足がふらついた。ノッポと小太りはハアハアと荒い息をしていたが蔵三はまるで気にする風もなくその四階の廊下の突き当りの部屋のドアを開けた。ノッポと小太りが部屋に入ると、「ようこそ」と梵天丸が社長席から立ち上がり、二人を応接セットに案内した。そして、「どうぞ」と席を勧めた。ノッポと小太りが席につくと蔵三がキッチンから珈琲を四つ持って現れ、熊のような手つきで皆の前にそれを並べた。梵天丸が上座に座り、その斜め右側にノッポと小太りが座り、最後、斜め左側に蔵三がドスッと音を立てて座った。席に着くなり、「それで、お前たちは誰だ?」と蔵三は二人を睨んだ。あっと驚いた表情でノッポと小太りは立ち上がり、「名乗り遅れてすみません。私は岐礼村慈光という者です」とまずノッポが名乗り名刺を差し出した。次いで、「私は物部忠助と言います」と小太りが名刺を出した。蔵三が二人の名刺を受け取って見ると、社名は『トロル特許事務所』となっていた。「特許事務所?」と蔵三はいぶかしげな顔で二人を見た。「聞いたことがない。不破グループではないようだね?」と梵天丸が珈琲にの香りをかぎながら尋ねた。「はい。ですが実は鉄山総帥が亡くなられる前、我々は共同である計画を進めていたものですから、まんざら関係がないわけではないんです」とノッポの岐礼村が立ったまま梵天丸の方を向いて言った。「ふうん、おじいさんと?」と梵天丸は不思議そうに岐礼村を見てから、「クラさん、何か聞いている?」と蔵三に尋ねた。蔵三も首を傾げ、「さて? 総帥はいろんな人を使っていろんな事業をしておられたから、そのすべては把握していませんね」と言った。

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「この計画は我々だけで行っていたので、他の方はご存知ないと思います」と岐礼村は厳かな顔で答えた。「そうか」と蔵三は短く返事をした。不破財閥グループは金融業・不動産業・旅行業・宿泊業などさまざまな事業を展開する巨大なコングロマリットであったので、鉄山総帥の個人秘書のような立場にあった蔵三と言えども、その事業のすべてを把握しているわけではなかった。「彼らの話を聞きますか?」と蔵三は梵天丸に尋ねた。梵天丸はすぐには返事をせず、改めて自分の右手にいる二人の男を観察した。ひょろりと背の高い岐礼村は特許事務所の主査とあった。スーツはアルマーニで決めているが、ソファに腰掛ける足は変にガニ股でその膝の上で組んだ手の指は蜘蛛の足のように見えた。顔は馬のように長く、七三に分けた髪はやけに脂ぎって見えた。鼻の下がやけに長くどう見てもマヌケ面に思えるが、目つきだけは鋭い光を放っていた。隣の小太り、物部は、特許事務所では助手という役職であった。丸い団子をつなぎ合わせたような体系で、顔は赤ら顔であった。小太りの人はなんとなく愛敬があるものであるが、彼は目つきが良くないためか、あまり善良でない雰囲気が漂っているようであった。信用できる者ではないかも知れない、と梵天丸は考え、「聞かなくて結構だよ」と言おうとした。その機先を制するように、「まずはこれを見てください」と物部は鞄を膝の上に置き、中から一冊の冊子を取り出した。そして素早く目的のページを開いた。「これは?」と蔵三が思わずそれを覗き込んだ。「あるビジネスモデルの特許です。総帥が買収された企業が保有していたものを我々が買い取らせていただきました」岐礼村が見上げるようにして言った。