01君は誰? 01-01

 陽春の晴れた青い空の下、桜並木は風に揺れ、つい先日まで咲き誇った花びらも舞い落ちる、そんな四月半ばの風景。教室の窓際、一番後ろの席に座り不敵に足を投げ出した、ふんわりとした金色のダックティルの美少年。黒光りするレザージャケットと灰色のフーディ、胸元に銀色の首飾りをのぞかせ、細いデニムの足元に、唐草模様の足環をちゃらつかせ。手をポケットに突っ込んで、窓から外をぼんやりと眺めている。どう見ても不良少年であるけれど、それでいてどことなく線の細い、そんな印象を皆に与えるその所以は、横顔があまりに美しく、まるで男に見えないほどに整っているからであろう。とても綺麗な不良少年。不意に姿を現した不穏で不気味な存在。昨日までの空席を埋める新しい級友。戦慄を覚える仲間たち。「とうとうお出ましだね」とひそひそ声でメガネ君。「彼が例の、あの方よね」と確認するミツアミちゃん。皆がゴクリと生唾をのむ。あの方? そう、あの方。祖父より莫大な遺産を引き継いだ不破財閥の総帥。ボンクラファンドの代表にして同じ高校の一年生、昨日まで不登校だった、その名も不破梵天丸。「どう見ても不良だよね?」「バカ、声が大きいよ」「あれってロカビリースタイルじゃん?」「ゆるふわのダックティルに革ジャン?」「在りし日のブライアン・セッツァー」不意に窓から春風が吹き込み、ダックティルが揺れる。その様子を遠巻きに眺める級友たちは、もうすぐチャイムが鳴るというのに何故だか席につけない。そこにガラガラと扉を開けて駆け込んできた一人の少年。「やばやば。遅刻するところだったよ」と皆に笑顔を振りまいて、周りの雰囲気も気づかないまま自分の席につき、横を向いてギョッとする。「君は誰?」

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 金髪のダックティルが無造作に振り向き、隣に座った少年を無遠慮に眺める。私立波打際高校の校則によると、服装は自由となっているけれど、いちおう制服もあり、少年は新品の、その制服のブレザーをきちんと着込んでいた。梵天丸はすぐに興味なさげにそっぽを向いて、また窓から外を眺める。少年は少しあっけにとられた様子で、不愛想な隣人にもう一度話しかけようとした。そこでチャイムが鳴った。担任の教師が教室に入ってきて、ホームルームが始まった。梵天丸はまだ窓の外を向いていた。教師はまったく知らない顔で今日の予定を話していた。教師が黒板に何か書き出して背中を向けた時、「ボクは御影霧之介」と制服の少年は梵天丸の背中に小声で話しかけた。「さっきはゴメン。人の名前を聞く前に、まず自分が名乗るのが礼儀だったよね」霧之介はいかにも人の良さそうな笑顔で言った。と、不意に教師が振り向いて、「そこ五月蠅い」と、霧之介にチョークを投げた。チョークは霧之介の額めがけて一直線に飛び、コンッと見事な音を立てて割れた。「いてっ」霧之介は額を押さえ、教室内は級友の笑い声でさざめいた。梵天丸はチラリと振り向いて、白いチョークの粉のついた霧之介の額を見た。霧之介は悪戯っぽく笑って、「やられたよ」と言った。教師は少し苦々しげな顔で梵天丸の方を向き、「君も窓から外ばかり見ていないで先生の話を聞きなさい」と注意した。と、梵天丸はそっぽを向いてポケットからサングラスを取り出した。そしてそれをつけると今度は横を向かずに黒板の方をじっと見た。隅丸の黒いサングラスはずいぶん大きくて、梵天丸の顔の半分を隠すほどであった。教師はもう何も言わず、さっさとホームルームを終わらせて教室から出ていった。

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 その日の昼休み、霧之介が売店でパンを買って教室に戻ると、梵天丸は朝と同じく、窓から外を眺めていた。「昼、食べないの?」と霧之介は隣の席に腰を下ろし、再び梵天丸に話しかけた。梵天丸は振り向きもせず、軽く手を左右に振った。大きなサングラスで表情はよく見て取れないけれど、心なしか梵天丸の態度は少し軟化しているように思えた。「パン、食べる?」と、さらに霧之介が話しかけていると、不意にバタバタと後ろからメガネ君が走り寄って、霧之介を羽交い絞めにした。そして有無も言わさずに、引きずるように廊下に連れ出した。「君はなんて怖いもの知らずなんだ? 彼は、あの不破財閥を相続した御曹司、不破梵天丸だよ」とメガネ君は言った。「何、それ?」と霧之介は首を傾げた。「君は呑気な奴だなあ」とメガネ君はあきれ顔で言った。「何がさ?」と霧之介は、やはりわからないので聞くと、メガネ君はクイッとメガネを押し上げ、「昨年の年末、新聞でずいぶん騒がれただろ? 彼こそあの不破財閥の継承者だよ」とまるで自分が継承者でもあるかのように鼻の穴を膨らませて言った。「なんだって? 不破財閥だって?」ようやく霧之介も理解した。小国の国家予算ほどの資金を、ほんの一日で右から左に動かせると噂される大財閥、本拠がケイマン諸島にあるため、誰もその真の姿を知ることができない謎のコングロマリットを形成している不破財閥。「そうだよ。その不破財閥の、その頂点があの梵天丸なんだよ」メガネ君は赤べこのように首を縦にブンブンと振って叫んだ。と、不意に、「へえ、そいつはすげえなあ」と背後から聞きなれない声がして、二人が驚いて振り向くと黒いサングラスをつけた梵天丸が無表情で立っていた。

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「いや、ボクは別に、その」とメガネ君はしどろもどろに何かを言いかけた。梵天丸はそのメガネ君の肩に手を伸ばし、ポンポンと軽く叩いた。そしてにっこりと笑った。「うひゃあ」とメガネ君、まるで幽霊にでも出会ったように驚いて、実に五十センチほども飛び上がったかと思うとカール・ルイスのような猛スピードで廊下の向こうに駆け去った。あっけにとられた霧之介はが、ポカンとした表情でメガネ君の消えた方角を見ていると、「君はボクが怖くないのかい?」と梵天丸は、今度はその霧之介に話しかけた。霧之介はハッとしたように梵天丸の方を向いた。そしてすぐ屈託のない笑顔を浮かべた。「なんだい。ちゃんと口がきけるじゃないか」今度は梵天丸がポカンとした。その言葉の意味が理解できないというよいうような顔でしばらく霧之介を見上げていたが、やがて少し怒ったように、「口ぐらいきけるさ」と口をとがらせ、クルリと回れ右をして教室に入っていった。そしてすっかり定番となった窓際の席に沈み込むように座って、窓の外を眺めはじめた。霧之介は梵天丸の後を追いかけ、隣の席に座った。そして先ほど売店で買ったパンを取り出して、「カレーパンとメロンパンがあるんだけど、どっちがいい?」と二つのパンを持ち上げて尋ねた。「昼は食べない」と背中を向けたままであったけれど梵天丸が答えた。梵天丸が返事をくれた。霧之介は嬉しくなった。なんだか野良猫を飼いならす気分だね。そして思った。梵天丸は大財閥の総帥だというけれど、中身はやっぱりボクたちと同じ、まだ高校一年生の少年。いや、世間ずれしていない分、ボクたちよりも少し幼いのかも知れない。ふと見ると梵天丸のゆるふわのダックティルが窓から流れ込む風に揺れていた。