13 嬉野流

 嬉野流で勝ったので、今日は嬉野流の日である。山田君は左の銀を斜めに上がるような軽快さで道場を飛び出し会社に向かった。上手くいけば鳥刺しさえも狙えてしまう、嬉し恥ずかし嬉野流。すぐに敵に戦法を見破られてしまい、棒銀でどんどん逆襲されるかもしれないが、その時有効なのが土下座の歩。ちょっと哀れな土下座の歩。しかし敵より一段低く構えた土下座だから、敵の攻撃も頭上を過ぎ去り、案外粘りがきくのだ。会社に飛び込むなり山田君は小夜さんを探し、駆け寄って胸をツンと突いた。これぞまさしく中央の歩つき。小夜さんは「あん」と言って胸がプルンと震えた。よし、ここから銀でニョキニョキ伸びて、と思っていたら、あっという間に小夜さんの反撃。「もう、なにするのよ、山田君」と小夜さんの平手が山田君の頬を狙う。山田君はあわてて床に膝をつき頭を下げて平謝り。「ごめん小夜さん、これには深いわけがあって」と、しかしこの土下座の歩はあらかじめ計算していた通り。「もう、知らない」とプンプン怒って立ち去ろうとする小夜さんの、今度はお尻めがけて低い位置から指を繰り出す。これぞ噂の七年殺し、と技が決まりかけた瞬間、平松君が横からさっと手を突き出してそれを阻む。「君はなんて卑劣な男なんだ」「あ、いや。ボクは」と、しどろもどろの山田君。「もしまたこんな卑劣な行為を見つけたら、今度こそただじゃおかないよ」と決めつけられてガクリと項垂れる山田君。かつて、竜王戦で阿部七段は丸山九段に嬉野流を仕掛けたが結果はあわれな惨敗で、以後プロ棋士の勝負では使われなくなった技だという。