12 阿久津流急戦矢倉
阿久津流急戦矢倉で牛島さんを下したので、今日は阿久津主税の日だと山田君は考えて、道場から出た途端、東の王子となった。会社に着くなりドンと事務所の真ん中に座り、小夜さんのこびんを狙ったが、これは自分を角に見立てて、小夜さんを相手の飛車に見立てての攻撃である。阿久津流は盤のど真ん中に角が出て、偉そうに睨みを効かすのが特徴だ。小夜さんはチラッと山田君を見て「何だろう?」と変な顔をしたが、まさか自分が狙われているとは気づいていない。「よし」と山田君は一気に駆け寄り、小夜さんの奪取を試みた。が、その瞬間、ドンと平松君がぶつかってきた。そして尻もちをついた山田君に「なんだい、山田君。部屋の真ん中で邪魔じゃないか」と叱った。かっこ悪い、かっこ悪すぎる。阿久津流は失敗だ。これじゃ飛車ばかり気にしていた角(山田君)を歩(平松君)が取ってしまったみたいなもんだ。「山田君、ぼーっとしてちゃダメよ」と経理の美和さんが笑った。ああ、美和さんにまで笑われてしまった。ボクはイケメンの阿久津八段、東の王子になりきるはずが、笑われ王子になってしまった。平松君なんて歩のくせに、よくもボクに恥をかかせてくれたな。腹立ちまぎれにそう思ったが、いや、もしかすると平松君は歩ではなく、逆に角なのではないかと思うようになってきた。そう思って見てみると、今、事務所の真ん中で高笑いする平松君は何だか角行の風格がある。ひょっとするとボクが歩だったのか。あまりのショックに山田君はクラクラとよろけた。ああ、今日のボクは歩だったのだ。ただ角に取られるだけの歩だったのだ。