10 早石田
三浦氏がちょっと油断した隙をつき、早石田であっという間にやっつけた。お互いに角筋を空けたまま、三間の歩をずんずんと突き、相手の飛車先も無視して、こっちの飛車を三間に回して、それで相手がこっちの無防備を咎めてきたら技が炸裂、歩を突き捨ててから、角交換で王手飛車。なんとも鮮やかな奇襲戦法で、飛車をタダで取られた相手はすっかり意気消沈。やる気をなくして投了して、わずか十五手で山田君の大勝利。こんなにも軽く勝ってしまっては何だか勝った側も物足りないが、でも勝利は勝利だから、今日は一日早石田で過ごすことにした。この奇襲のポイントは、まず三間の歩をどんどん突いていくところにあるから、今日の自分にとっての歩とはなんであろうかと山田君は会社に着くなり考えた。突き捨てる歩、そうだ捨て駒だ。ボクにとっての捨て駒。捨てても惜しくない駒。と、そこに同僚の平松君が給湯室にチラリと見えた。ああ、平松君。ボクの捨て駒は君だ! 山田君は大喜びで給湯室に飛び込んで、平松君に近づこうとしてふと見ると、横に市原課長が憤怒の表情で立っていた。しまった、そういうことだったのか。平松君はボクの捨て駒ではなく、市原課長の罠だった。「こら山田。お前、昨日は仕事をさぼってどこに行った」と課長の怒号。「ひええ、すみません」と瞬く間に詰まされた山田君。道場では早石田で勝ったが、会社では逆に早石田で詰まされたようだ。昨日さぼった分まで仕事をしなければならなくなって、今日はきっと残業だ。涙目の山田君が茫然として室内を見やると、遠くの席で小夜さんが嬉しそうに手を振った。