02 鬼殺し

 朝、鬼殺しで清水さんに勝った。なので今日は古典的なハメ手の戦法、「鬼殺し」で勝負をしようと山田君は意気揚々と道場を出て会社に向かった。先手の一手目に角筋を空けて、続いて桂馬が高跳びしていくという、まったくもって奇想天外な荒業であるが、大正時代の大道詰将棋の講釈師、野田圭甫が発明した戦法で、「鬼も逃げ出す、鬼も倒せる」と彼は、紋付き袴に白髭姿で豪語した。鬼殺し。山田君はタイムカードを押してあたりを見回し、フフンと不敵に笑った。「誰かは知らぬがまだ見ぬ敵よ、今日ボクと目が合ったことを不運と思え。必殺の鬼殺しできっちりハメて進ぜよう」そんなことを思っていると、後ろからポンポンと肩を叩かれた。「しまった、先手を取られたか」と山田君。キッと睨んで振り返り、たとえ後手に回っても、今ならまだ取り返せるはず、と瞬時に考え、「誰?」と問いかけて言いよどんだ。そこには事務職の小夜さんがニコニコと立って「おはよう」と手を振っていた。「おはよう」と山田君も慌てて笑顔で切り返したが、その笑顔が若干引きつっていたようで、どうも調子が悪い。先手先手と今日は先手を取られっぱなしで鬼殺しはもう使えない。必殺のハメ手を用意しても後手に回っちゃ仕方がない。今日の鬼殺しは封印だ。明日また頑張ればいい。角筋を空けて桂馬で跳んで、飛車で回って鬼殺し。しかしまあ小夜さんは鬼じゃないから、鬼殺しを使わなくても昼にはハメ手に持っていける? かも? 山田君はそう算段すると、すっかり気分も落ち着いて、もう一度「おはよう」と今度は満面の笑みで小夜さんに応えた。