02 黄土色の悪漢 01

 桃之介がベンチを立ったのは、犬神博士が去ってより一刻あまり過ぎてからであった。ほんの少し海を見ようと立ち寄ったところが、幼い日々を思い出し、思わぬ長居になってしまった。彼はジーンズの尻についた砂を払った。そして竹芝桟橋から芝増上寺の大門に向かって歩いた。芝大門の界隈には、かつて彼を拾ってくれた猿鳥師匠の道場がある。明王山で瀧に打たれていた髭面の武闘家は、今や東京で押しも押されぬ格闘家となっいた。門弟も七百人を超えるほどの人気で、今では彼と戦って勝てるものはいないという噂であった。「お頼み申す」と桃之介は道場に入った。十四五人の門弟がストレッチなどをしていたが、猿鳥師匠の姿はなかった。「さてどうしよう」と思案していると、顔に大きな傷のある、いかにも素行の悪そうな大男が近づいてきた。「お前は誰だ」と大男はずいと身を寄せて言った。「師匠に用があって参りました」桃之介はすっと体を交わし、大男の間合いから外れた。「なんだ、逃げるのか?」大男は桃之介を睨み付け、またぐっと近寄ろうとした。桃之介はまたスッとよけて、用心深く大男を見上げた。「可愛らしい顔をしておるのう? その可愛らしい顔を血達磨にしてやりたいのう」大男はさらに近づいて、ニタニタと笑いながら桃之介の顔に手を伸ばした。「猿鳥師匠がおられないなら、また改めてご挨拶に参りまする」桃之介は大男をかわし道場から外に出ようとした。そこに黄土色の道着を着た男が立ちふさがった。「まあ、急いで帰られることもあるまいよ」と黄土色の男も値踏みをするような嫌らしい目で桃之介をチラリと見た。