1990-2000 ロンドン 01

 一九九一年、帝王マイルスはヒップホップのイージー・モー・ビーと共に『ドゥバップ』というアルバムを吹き込んだのち死んだんだ。そしてマイルスの死と共にジャズの中心地は海外へ飛び火して、ロンドンでアシッドジャズという新しい潮流が生まれたんだ。ジャミロクワイやUS3といったイギリス系のジャズグループが登場してその後のジャズ界を席巻していくことになるけれど、これこそまさに象徴的な出来事だよね。ニューヨークのジャズも相変わらず盛んだけれど、それはこれまで百年の歴史の中で生まれてきた、どれかの潮流の踏襲で、もうアメリカから新しいジャズが生まれてくることはないってね、あきらめ顔でそう言って苦笑いする人もいるよ。まあ、それもいいってことだってね。しかしまあともかく、ロンドン発のジャズはやっぱり画期的だったよね。なんてったってUS3。もはや楽器演奏技術の云々は問題じゃなくて、なんて言っていいのか、そこにはかつての奏者の名演のサンプリング技術とセンスだけが存在していてね。ブルーノートレコードの音源をラップとして公式に使用することを認められたUS3の音楽には、ソニー・ロリンズにハービー・ハンコック、ジョン・パットン、ルー・ドナルドソン、ホレスシルヴァー、ドナルド・バードなんかが様々な形で平気で混在していて。そう、ジャズはヒップホップやラップと結びつくことによって、再びダンスミュージックに返り咲いたんだ。それも重くもなく軽くもなく、ホットのようなクールのような絶妙なバランスで。新しい音楽はもはや新しい演奏不在でも存在しうるのさ。