1980-1990 ニューヨーク 01

 何だかんだいってもニューオリンズはやっぱりジャズのメッカだったね。だってフュージョン系に押しまくられて瀕死の状態だった従来のジャズを復活させたのは、ニューオリンズ出身のウィントン・マルサリスだったんだから。一九八〇年、十九歳のマルサリスはニューオリンズからニューヨークにやってきてアート・ブレイキー率いるジャズ・メッセンジャーズで華々しくトランペットを吹いて、それで従来のジャズの魅力を再び皆に思い出させたんだよ。マルサリスのトランペットはものすごく説得力があってね、彼は一気にスターダムにのし上がっていったよ。そのマルサリスの成功を見ていたニューオリンズの若手ミュージシャンたちは、これはいける、ってんで続々ニューヨークにやってきてね、彼らの新しい感覚でフォービートの演奏を始めたんだ。伝統的なジャズは息を吹き返し、フュージョンを圧倒するほどになったよ。ブルーノートを始め、ジャズの名門レーベルが活動を再開して、フュージョンを凌駕するようになって、八〇年代後半にはフュージョン系の人気グループが次々に解散するまでに至ったんだ。ハービー・ハンコックもすでにフュージョンからフォービートへの転向していたしね。それで解散した多くのミュージシャンたちの多くはその後はグループでなくソロで活動するようになったんだ。フュージョン系の機材が膨大になりすぎたのもフュージョン衰退の一因になったね。ジャズクラブでそれらの機材を用いて演奏することに限界が来ていたし、それぞれミュージシャンたちもテクノロジーの発展に合わせることに疲れちまったってさ。