1970-1980 ニューヨーク 03

 マイルス・デイヴィスって人は変わったお方だ。だってジャズの帝王と言われながら、ジャズを本筋からどんどん外すようなムーブメントを作ろうとするんだから。元来ホットなダンスミュージックであったジャズという音楽に、五〇年代、クールジャズで異議申し立てをしてから、六〇年代のモードジャズ、七〇年代のフュージョン、いつも一貫して従来のジャズから一歩外に踏み出した音楽を作ろうとするんだから。どう見たってマイルスはジャズの反逆児なんだよ。いや、だからこそ帝王と呼ばれたのかも知れないね。帝王とは古くなった体制を打ち倒し新しい価値観を導入する反逆のエネルギーを持ち続ける者にこそふさわしい称号なのかもしれないから。マイルスが頭で新しいジャズを考えて、若いメンバーにそれを強要していったからこそ、ジャズは進化していった。それは事実さ。そしていったん弱ったかに見えても再び息を吹き返したしね。ともかく七〇年代半ば、フュージョンの人気は最高峰に達した。まさに絶好調だったんだ。ところが一九七五年、マイルスが病気のために休養に入るとなぜかフュージョンの人気も下火となっていったんだ。ファンクミュージックの立役者ハービー・ハンコックもフュージョンをやめて、従来のフォービートに戻っていってね。ハンコック率いるV・S・O・Pはフュージョンに辟易していた従来のジャズファンから諸手を振って歓迎され、アコースティックジャズは再び息を吹き返したよ。これで七〇年代後半はフュージョンと伝統的なジャズ、二つの潮流を中心にジャズ界は進んでいくことになるんだ。