1960-1970 ニューヨーク 02

 マイルスはジャズを芸術の域まで引き上げたけれど、聴衆はそれについていけなくなっていったよ。大衆音楽ダンスミュージックとしてジャズを楽しんでいた人たちは、徐々にジャズから離れて行ったんだ。そこにロックンロールの要素を多分に持ったポップミュージックがやってきて、世界はそれ一色に染まっていったさ。特にイギリスからやってきたビートルズの人気はすごかったね。一九六四年、アメリカでアルバムが発売されるなり三か月もの間、全米ナンバーワンの地位を保ち続けたってんだから。もうジャズじゃあポップやロックに敵わないかも、と皆が不安に感じたよ。そんな中、ビートルズの連続一位を止めたのはルイ・アームストロングだったんだ。最も古いタイプのジャズ、ニューオリンズのスタイルを継承するサッチモが『ハロー・ドリー』で見事にビートルズから全米一位を取り戻したんだ。マイルスは臍を嚙んだだろうが、まあ、仕方ないさ。芸術性の高さと大衆の人気は必ずしも一致しない。

 ここで少し日本の話になるけれど、日本じゃジャズ喫茶が最も盛り上がった時代で、ここじゃモードが大人気だったね。学生運動に参加する若者たちや、カウンターカルチャーを愛する人たちは、難解だけれどカッコいいモードジャズのレコードを、薄暗い喫茶店の中、珈琲をすすりながらじっと黙って聞いたのさ。特に人気があったのはジョン・コルトレーンだったっていうけれど、これは彼のストイックさが日本人の気質とうまくマッチしたってとこなかな。ジャズ喫茶が日本以外の国に存在しなかったっていうのも面白いね。