1950-1960 ニューヨーク/ロサンゼルス 01
一九四八年、マイルスはチャーリー・パーカーのコンボから独立してクールジャズってのをやり始めたんだ。チャーリーのもとではビバップを演奏していたマイルスだけど、独立した彼が選んだのは即興性よりアレンジだったんだ。ビバップのハーモニーやシンコペーションを使用しつつ、もっと知的でクールな響きを探したってわけ。白人のアレンジャー、ギル・エバンスと組んだり、バンドを九重奏にしたり、それまでのジャズとは一線を画す方針で『クールの誕生』ってアルバムを世に出したんだ。しかしこれはあまり受けなかったね。ニューヨークでは俄然ホットなビバップが人気だったし、黒人白人混在のバンドっていうのも、時代としては先取りしすぎていたのかな。とにかくマイルスの初戦はニューヨークでは敗戦に終わったんだ。ところがこのクールジャズ、ロサンゼルスのミュージシャンたちに大きな影響を与えたって。マイルスのコンボにいたジェリー・マリガンがロサンゼルスに居を移し、その地を活動の中心地に据えたことや、そもそも『クールの誕生』というアルバムを出したのがハリウッドのレコード会社だったことも関係あるかな。アンサンブル重視、無駄のないサウンド、独特の洒落たアレンジ等々は、ロサンゼルスに住んでいた白人ミュージシャンたちにもろ手を挙げて歓迎されたんだ。ビバップは黒人の演奏で野蛮、でもカッコいいからそのエッセンスは使いたい、と考えていた白人ミュージシャンたちにクールジャズはうってつけだったってわけ。そしてこのクールジャズが、アメリカ西海岸でウエストコーストジャズへと進化していったんだ。