01_バロネット卿 01-14

 名古屋を出たバロネット卿はいったん東京に戻ったが芝の屋敷には立ち寄らず銀座の野外活動用品販売店に行き、天幕、飯盒、釣り道具、米、小刀、写真機、鍋、薬缶、毛布、手拭、火打石、油などを購入し、台車付きの箱に入れ、竹芝桟橋から船に乗った。小笠原諸島の父島に上陸し、参謀本部編纂の地図を開き、浜辺で漁をする男たちに尋ねた。「この地図に載っていない島はないかね。あれば連れて行ってほしいのですが」。若い漁師が「あるよ」と言ってバロネット卿を舟に乗せた。小さな舟は何度も波に呑まれそうになりながら、母島を越えて、大海原を横切り、竹芝よりおよそ九七〇海里、小さな島に着いた。「ここは地図にない島だ。しかしアンタ、ここで何をする?」バロネット卿は舟から荷物を下ろし「私はこれより三か月間、この島で一人暮らしをする」と言った。「なんと酔狂なこった。悪いことは言わないからやめときなせい」「いや。やめるわけにはいかないんだ。これは私自身の挑戦でもあるが、ひいては祖国のための行為にもなるんだ」若い漁師は付き合いきれないと言ったふうに首を振った。

「三か月後、迎えに来てほしい。その時また一〇〇円払おう」と行き賃一〇〇円を支払いながらバロネット卿は言った。

「まあ往復二〇〇円ももらえりゃこっちは文句もねえわけだが」と若い漁師は一〇〇円札を受け取り、舟底に転がっていたバケツを二つ、バロネット卿に投げてよこした。「雨水を貯めておかなきゃ死ぬぜ? あんたに死なれちゃ寝覚めが悪いや」。