1990-1920 ニューオリンズ 07
ジャズの歴史における一九一七年てのは、ニューオリンズが最も輝いた時代だったね。白人主導ではあったけれどジャズのレコードが初めて販売されて、その発祥がニューオリンズだったわけだから、まあ当然だよね。ナイトクラブも遊覧船もジャズという名の新しい音楽を求める人々で賑わって、様々な奏者がニューオリンズに綺羅星のごとく現れて、紅灯街で演奏を繰り返し、名を馳せていったんだ。その熱気たるや相当のもんで汗に香料に果物に、それにアルコールの臭気も加わって、まさに快楽の地獄だね。ジャンジャンとなる調子はずれのホンキートンクピアノにノスタルジックなコルネット。絶え間ないおしゃべりと笑い声。紅灯街は殷賑を極めたよ。ニューオリンズの栄光は永久に続くと誰もが思ったもんさ。ところがどっこい、そうは問屋が卸さない。同じこの年、アメリカ政府はドイツに宣戦布告して、第一次世界大戦に突入しちまったんだ。「戦争が始まれば国民一丸、相手国を倒すために足並みをそろえなくちゃならない」ってんで紅灯街は閉鎖され、集まっていたジャズ奏者たちは、たちまち無職になっちまった。気の利いた奴らは我先にとニューオリンズに見切りをつけてミシシッピ川を遡上してシカゴに逃れていったんだけれど、若い奏者は移動する手段もツテもないもんだから、ニューオリンズで細々と演奏を続けたけれど。ともかくまあ、ニューオリンズジャズは紅灯街の閉鎖で幕を閉じたと言っても過言じゃないね。キング・オリヴァーもシカゴに流れて行っちまって。そんなこんなで一九二〇年頃からシカゴジャズの時代ってのが始まるのさ。