01_バロネット卿 01-11

 バロネット卿が名古屋にいる大江甚八のもとに訪れたのは大正八(一九一八)年、ドイツがベルサイユ条約に署名し、第一次世界大戦が収束したと報じられた数日後であった。名古屋駅を出てタクシーで銀行に乗り付けて、頭取室に案内されるなり、バロネット卿は挨拶もそこそこに、真顔でいきなり妙な問答をはじめた。

「ロスチャイルドはナポレオン戦争の終結をうまく利用し大金持ちになった、と甚八さんは言った」

「ああ、言った」

「ボクはこの三年間、政府の海外調査に従事し一五〇〇円を得た」

「うん? それで?」

「この一五〇〇円について、ボクは甚八さんにお願いしたいことがある」

「さあ、それは?」

「甚八さんにはこのお金でイギリス国債を買ってもらいたい。イギリス国債は高騰し、ボクは大金持ちになる」

 甚八は思わず吹き出してしまった。

「いやいや、お前さん。同じ手は多分通用しないね」

 甚八は手のひらをヒラヒラと左右に振り、笑顔で言った。

「ロスチャイルドの成功を知る人たちは皆同じ事を狙っている。海千山千の海外投資家に振り回されて、お前さん、一文無しにされてしまうのが落ちだよ」

 そしてしばらく考えてから甚八は言った。

「それよりお前さん。ワシを本当に信用するなら、その一五〇〇円、何も言わずワシに預けてみないかい?」