1990-1920 ニューオリンズ 06
また、社会情勢が文化に影響を及ぼすことも多々あって、いやそもそも文化ってもんは逆にそれぞれの社会情勢のもとでしか生まれないものかも知れなくて。だからつまり、ニューオリンズがジャズ発祥の地となったいきさつには、南北戦争の影響が多分にあったってことなんだ。ニューオリンズって町はご存じの通りミシシッピ川河口の、アメリカ南部の町になるわけだから、南北戦争では当然、南部側に属してて。南部側の敗北はすなわちニューオリンズの敗北でもあったわけなんだ。
一八六五年、リッチモンドは陥落し南部軍は敗北、南部の兵士たちは川から船に乗って散り散りに逃げることになったよ。当時の軍隊には兵士を鼓舞するマーチングバンドも一緒についてまわっていたから、楽団の面々も一緒に船に乗って逃げたんだ。でも敗走するのに楽器は邪魔だよ。荷物になっちゃうね。それで楽団員たちの楽器は海軍によって安く払い下げられたんだけど、その船着き場がニューオリンズだったってわけ。だからニューオリンズの黒人たちは捨て値同然の価格で楽器を買うことができて。黒人のブラスバンドグループがこの地に多く現れることとなったんだ。
と、まあこうしてジャズは黒人のアングラ社会で誕生したんだけれど、それをアメリカ中に広めたのは結局白人グループのディキシーランド・ジャズ・バンドってバンドだったよ。一九一七年に彼らが録音した音源がジャズの最初で、以降、ニューオリンズのこの頃のスタイルはディキシーランドジャズ(アメリカ南部のジャズ)と呼ばれるようになったんだ。