1930-1940 ニューヨーク 01
サッチモはシカゴ中心に音楽活動をしていたけれど、一時期キング・オリヴァーと喧嘩してニューヨークに逃げて行った事があったね。話は少し前後するけれど、これはまだ一九二〇年代の前半くらいだったかな。それで彼はニューヨークではフレッチャー・ヘンダーソン楽団に加わってハーレムの高級ナイトクラブやダンスホールでコルネットを吹きまわったりしたけどさ。そのうちオリヴァーの怒りが収まった頃合を見計らって、またシカゴに戻ったってさ。まあ、そんなこともあったりしてかな。ニューヨークジャズのムーブメントが一気に燃え上がったんだ。
サッチモがシカゴに帰った後、ニューヨークでメキメキと頭角を現したのがデューク・エリントンだったね。当時ニューヨークの文化の中心はハーレムの『コットンクラブ』っていう最高級のナイトクラブだったけれど、エリントンはそこと契約を結んでね、その舞台に常時出演するようになったんだ。レビューとダンスを組み合わせた新しいジャズ、エリントン楽団のジャングルムードは裕福な白人たちをおおいに楽しませたね。だからエリントン楽団はたちまちニューヨークで最も人気あるバンドとなったよ。一九二九年は世界恐慌がおこって失業者があふれ世相はどんどん暗くなったけれど、ハーレムだけは別天地だったね。華やかで明るく活気にあふれ、一九三〇年代、ハーレムはまさにアメリカ文化の中心地だったのさ。白人のセレブたちの行きかう高級の社交界の街ってとこだね。のちにスラム化してしまったけれど、この頃は本当に明るく楽しく賑やかな街だったのさ。