01 邪教真言立川流 01-01

 真言立川流が実際どのようなものであったかは定かでない。かなり妖しい儀式を行う密教だとも言われるし、後の世になってから別の邪教と取り違えられた、あるいは故意に間違えて喧伝されたものだと言う人もいる。今はもう無いのだから、その真相を知ることは難しい。(新しく書かれた歴史は歴史ではなく歴史に対する新しい解釈で、ランケ以降、史料批判の先に書き換えられていった歴史は、分かりよくはあるけれど、実際には歴史でなくただの仮説、近現代主義の幻想であろうと私は考える)。とにかくまあ、真言立川流は、かつて邪教としての伝承があったということは確かで、その事実に変わりはない。そしてこの真言立川流の僧侶の中、最も有名な人物といえば間違いなく文観上人ということになり、信者の中、最も有名な人物は後醍醐天皇ということになるのである。最近は、これは事実と異なるという学説が主流のようであるが、学説などはどうでもいい。文観上人の名はもともとその道で売れたのだから、永久にそうであってもらいたい。イメージが大切なのである。道鏡が怪僧であるように、称徳天皇が好色であるように。平清盛が悪人であるように、静御前が美人であるように。文観上人には永遠に邪教の徒であってほしい。真面目な文観上人などいらない。文観上人と言えばやはり邪教真言立川流なのである。白狐に乗った荼吉尼天を崇拝し、髑髏本尊を拝みながら性的儀式をひろめなくてはならないのである。等々。

 そんな御託をまず並べてから、正和二(一三一三)年の夏、物語は始まる。