1920-1930 シカゴ/カンザスシティ 03

 禁酒法で潤った都市はシカゴだけじゃない。まあ当然だよね。ミズーリ州のカンザスシティにはトム・ペンダーガストという議員がいて、彼はギャングじゃなかったけれど、まるでギャングさながらの手腕を見せてさ、おおいに銭を儲けてさ。お陰で街も賑わったんだよ。彼のすごいところは何といっても、禁酒法の嵐が吹き荒れるアメリカで、堂々と酒場を開いたことでさ、当然ジャズも奨励したよ。ミュージシャンたちはこぞって集まってきたけれど、その中にカウント・ベイシーってピアノ弾きもいたね。ニュージャージー州の生まれのカウント・ベイシーは、ブルース歌手の伴奏をしながら各地を転々としたのち、一九二九年、カンザスシティのベニー・モーテン楽団にピアニストとして入団したよ。そしてベニー・モーテンが亡くなると楽団のリーダーとなって、時代の寵児になっていったのさ。音楽的にはディキシーランドジャズを模範にしながら、そこに絶妙なスィング感を組み合わせて、彼はスィングジャズへの道しるべも示したってさ。彼のバンドは強力なリズムセクションと個性豊かなソリストたちが特徴で、テナーサックスのレスター・ヤングも、女性ボーカリストのビリー・ホリディも、カウント・ベイシー楽団からニョキニョキと頭角を現したメンバーなのさ。

 こうして栄えたシカゴとカンザスシティだけれど、祇園精舎の鐘の声、なんてね。一九三一年にアル・カポネが逮捕され、一九三三年に禁酒法が撤廃されることによって。禁酒法で栄えた二つの都市はジャズの中心地から一気に転落していったのさ。