1920-1930 シカゴ/カンザスシティ 02

 キング・オリヴァーがシカゴに来たのは禁酒法が制定されるより少し前、ニューオリンズが栄光の頂点から一気に墜落したころだったんで、禁酒法が制定された頃には、オリヴァーはすっかりシカゴジャズの顔になっていたんだ。スピークイージーで連日連夜コルネットを吹きまわって、とうとう歯を悪くしてしまった程の人気の引っ張りだこだったんだ。それで自分だけじゃもう到底身が持たないってんで後輩ミュージシャンをニューオリンズからシカゴに呼んだわけだけど、それがルイ・アームストロングだったのさ。そうあのルイ・アームストロング。口が大きいということでサッチモとあだ名された彼は、キング・オリヴァーのお陰でシカゴに来られたのさ。そしてその後、ジャズ界を牽引する奏者に育ったってわけさ。だけらサッチモはオリヴァーを生涯師匠と湛えたし、オリヴァーが歯を悪くして満足に演奏が出来なくなっても、生涯尊敬し続けたのさ。

 ともかく一九二二年、オリヴァーの呼びかけに応じてニューオリンズからシカゴに来たサッチモは、初めてのレコーディングも体験し、新しいジャズも生み出したんだ。それがどんなものかって言うと、ディキシーランドジャズのワサワサとした田舎っぽい雰囲気を生かしながら、そこに都会っぽいスタイリッシュなソロを組み込んでいったってわけ。ジャズは南部の田舎の音楽から徐々に都会の音楽にソフィスティケートされていったんだ。サッチモと言えばスキャットを生み出したボーカルとしても有名だね。ダバダバにシュビドゥバ。彼曰く歌詞を忘れて適当に歌ったらうけたんだってさ。