02_河原院の怪異 01-02

 その源融が亡くなった後、彼を象徴する優雅な屋敷は宇多上皇に引き継がれて河原院と呼ばれるようになっていた。ある時、宇多上皇は藤原褒子(のちの京極御息所)と二人、牛車に乗って河原院の庭を散策しながら、その見事な山河を楽しんでいたが、やがて夜になり明るい月が天にのぼると、広大な庭園はまったく幻想的な風景に変わり、牛車に揺られて座る少女が、空から舞い降りた天女に見えてきた。上皇は褒子の手を握りしめて言った。「お前を息子の嫁にと思ったが、息子にやるにはあまりに惜しい。このままワシのものになってくれぬか?」この時、上皇三十八歳、褒子十四歳。ちなみに息子の醍醐天皇は二十歳であった。「あら、いけませんわ上皇様。父から天皇と縁談を結んでくるよう、きつく言われて来ています」「なんのなんの。ワシと結ばれて子が生まれれば、その子を親王にしてやろう。そしてゆくゆくは天皇じゃ。時平も文句あるまいよ」「でも私は醍醐天皇の許嫁」「言うまい、いうまい。ワシはそなたが欲しいのだ」月が二人を狂わせたのか、もともと二人が狂っていたのか。「ではせめて、この月明かりの下で」と褒子が頬を赤く染めたので、この機を逸してなるものかと上皇、牛車に敷いていた畳を牛童に下ろさせて、「さればここを仮の御所としようではないか」と宣言し、褒子の着物を一枚ずつ脱がせた。褒子は月明かりの下ですっかり裸になったけれど、十四歳の瑞々しい肌は上皇が想像していた以上に美しいものであったという。「ああ、たまらん、たまらんのう」上皇も急ぎ自分の着物を脱ぎ捨ててすっかり裸になった。