01_バロネット卿 01-07

 大使館の入口で日本人の警護兵に囲まれた時、コタロウは自分が日本語をほとんど覚えていないことに愕然とした。言葉は辛うじて聞き取れるが、その言葉の意味は分からなかった。もしここで江島甚八と出会わなければコタロウは大使館を追われ、二度と日本の土を踏むことはなかったかもしれない。甚八は英語でコタロウに話しかけ、二三、言葉を交わしたのち、「この子なら大丈夫。ワシが責任を持って預かろう」と警備隊長に請け合ってくれた。

 大使館の中でも甚八が通訳を買って出てくれたおかげで話は順調に進み、系図と脇差(獅子貞宗の名刀であった)を提示すると、大使館職員たちの対応が俄然、丁寧になった。「腐っても鯛とはこのことだな。いや、お前さんが腐っているわけじゃないがね」甚八は笑って言った。コタロウにもその意味は十分理解できた。バロネット家の血統は今もって日本人の中で大切にされている、そう思うと嬉しかった。

 コタロウと甚八が船に乗ったのは大使館を訪れてより三日目であった。それぞれ一等客室を与えられたが、それは父に売られて乗せられた水夫部屋の百倍以上も快適であった。「さすがは御曹司、まさか政府がここまで面倒をみてくれるとはね」と甚八は笑ったが、まさかそれらがすべて無償で行われる行為でないことも知っていた。日本とイギリスは同盟国であるが、市民階級の暮らしや教育についてはまだよくわからないことが多い。政府にはコタロウを通じてそれらの知識を少しでも得ようという狙いがあるのであろう。