01_バロネット卿 01-06
サムは大変な勉強家で、客室にはぎっしりと本が並べてあり、コタロウはそれらの本を勧められるままに読んだ。また授業の際にもサムは適当な書物を選んで、わかりにくい概念などは図などを見せながら説明してくれた。お陰で二年も経つ頃には言葉に不自由しないことはもちろん、歴史、数学などは、ロンドンに住む同じ年齢の子供たちに引けを取らぬほど達者になった。 ーただ音楽のみはまったく上達しなかったがー
一九一五年、ドイツのツェッペリン号によるイギリス空爆が始まり、ロンドン中の人々が恐怖した。
ある日サムはコタロウに言った。「お前に教えられることはたいてい教えたと思う。戦争もいよいよ酷くなってきたことだし、お前は国に帰るのじゃ」「でも、どうやって帰るのです?」コタロウは眉をひそめた。「ピカデリーに日本国大使館がある。そこに行けば何とかなるじゃろう」「大使館?」「ああそうじゃ。日本国のイギリスへの出先機関じゃ。そこでお前はいつか見せてくれたあの系図と短刀を見せて、悪い奴にさらわれたと申せばよい。きっと大使が日本国に行く船を斡旋してくれるであろう」「サムも一緒に来るか?」「いいや、いかねえ。ワシはこのガラクタ置き場の番人という立派な役目がある。第一ワシはロンドン生まれのロンドン育ちで、たとえ焼け野原になったとしてもロンドンを捨てるわけにはいかねえ」
サムはシッシと子犬を追うようにコタロウを客車から追い出し、「命があればまた会うこともあるであろう」と笑った。時にコタロウ十五歳であった。