01_浦島子伝 01-04

 朝に呑む仙薬と夕に食する玉酒のおかげでボクの肌はすべすべでピカピカ。九光芝草は老化を止めて、百節菖蒲は寿命を延ばす。お陰でボクはまるで年を取ることも忘れ、幸せな毎日を過ごしている。そう、これはボクが永年思い描いていた、まさに理想の暮らし。何の憂えも煩わしさもなく、愛する人と悠々と、つつがなく過ごす極楽の日々。ああ、なのになのに、こんなに故郷を懐かしく思うのは一体なぜなんだろう。苦しかったはずの漁師の暮らしを懐かしく思うのはなぜなんだろう。幸福な日常に、逆に煩悶するその贅沢さ。頭ではわかっているけれど、どうすることも出来ぬ思い。これはハイデガーがその著書『存在と時間』に書いた、「灰色の毎日」というものに相応するものかもしれない、とボクはふと思う。

 気分は突如、襲い掛かる。ああ虚しい。これは人が将来必ず迎える『死』というものを無自覚ながらに自覚した時に、やってくる気分のようである。人は将来必ず死ぬ、そのことに不意に気づき、人は虚しさを覚える。どこからともなく飛来する気分、怖れや不安の根源。それが死、死、死。

 そんなことを考えて、ボクはまた少し首をかしげる。「おや? ボクは今やほとんど不老不死なのに、それでもやっぱり死を怖れているのかしらん?」否々、そうではない。今回ボクが感じている「灰色の毎日」は死からくる不安じゃない。その向こうには、やっぱり死の影がチラチラ見え隠れしているのかも知れないけれど、とりあえずはまだ、それは差し迫った問題じゃない。これは幸せからくるマンネリ。そう、これは退屈。退屈なのだ。