01_バロネット卿 01-03
追われるようにして屋敷を出た卿の父母は、知人を頼って各地を巡り、姫路の港湾地区にようやく小さな部屋を借りることができた。障子もふすまも破れかぶれで母は新聞を拾ってきてはそれを貼り付けて風をしのいだが、その新聞の記事は遠くフランスのパリで開かれているという万国博覧会の模様を楽しく描いたものであった。
バロネット卿 ーこの頃はコタロウと呼ばれていたー は、この狭く寒い部屋の跡取りの嫡男として生まれた。コタロウは神仏を信じ一日一食で満足しながら日露戦争の時代に成長した。商売下手の父は何もかもにすっかり自信を無くし、お金もないのに毎日お酒ばかりを飲んで暮らした。母はなんとか暮らしていこうと港の小さな食堂で働くようになり、しかしそれだけでは到底食べてはいけないので、やがてスナックに勤めるようになり、娼婦になり夜鷹になり、コタロウが十二になった年、どこかに消えてしまった。
母が失踪するとたちまち食事もままならなくなった。酔っ払いの父はそれでも仕事をしようとせず、港の酒場を回ってはお酒を恵んでもらい歩いた。
父がチャールズを連れて来たのは、母がいなくなって一週間目のことだった。チャールズは赤ら顔の大男で、障子をあけて部屋に入るとき、大きく腰をかがめた。それはまるで小さな折箱に大きな熊が無理やり入ったように見えた。コタロウはそれを見てクスクスと笑った。チャールズはニッと笑って父のほうに向きなおり、右手の親指を立てて「オーケー」と言った。