01_バロネット卿 01-05

 ロンドンでの最初の数日間をコタロウは覚えていない。疲労と空腹でフラフラになりながら見知らぬ言語を話す人たちの、見たこともない石の街中をたださまよい歩き、イギリス人なら浮浪者でも口に入れないような腐った何かをゴミ箱の中からあさって食べた。当然のごとくサルモネラ菌におかされ、発熱と嘔吐を繰り返し、それでも生きねばならないと這いずり回った。そこを一人の黒人の老人に拾われた。

 老人は港に隣接した工業地帯、造船や鉄鋼業の廃棄物の山の中の、捨てられた客室列車に住んでいた。老人は客室のいくつかを横に倒し、それをベッドにして暮らしていたが、コタロウをそこに寝かせて粥を与えた。そうして一週間もするころ、ようやくコタロウの病状も収まり、意識もはっきりするようになった。

 老人は自分を指さしサムと言った。そしてコタロウを指さし首を傾げて見せた。コタロウは、本名を名乗ればチャールズが捕えに来るかもしれないと怖れ口をつぐんでいた。口がきけないのか? とサムは口を指さして尋ねた。「そうではないけれど」とコタロウは言った。初めて聞く異国の言葉にサムはたいそう驚いた。ずり落ちた眼鏡をかけなおし、サムはもう一度、自分を指さし「サム」と名乗った。コタロウは自分を指さし「バロネット」と言った。それは別れ際に父が言った自分の一族の氏であった。

 その日からサムは時間の許す限り、コタロウに色々なことを教えた。言葉から始まり、数学、歴史、音楽と、サムの授業は多岐にわたった。