門に額懸くるを「打つ」と言ふは、よからぬにや。勘解由小路二品禅門は、「額懸くる」とのたまひき。「見物の桟敷打つ」も、よからぬにや。「平張り打つ」などは、常のことなり。「桟敷構ふる」など言ふべし。「護摩焚く」と言ふも、わろし。「修する」「護摩する」など言ふなり。「行法も、法の字を清みて言ふ、わろし。濁りて言ふ」と、清閑寺僧正仰せられき。常に言ふ事に、かかる事のみ多し。
-- 徒然草 160 --
KOMUSUI ICHIZA KAMISHIBAI
門に額懸くるを「打つ」と言ふは、よからぬにや。勘解由小路二品禅門は、「額懸くる」とのたまひき。「見物の桟敷打つ」も、よからぬにや。「平張り打つ」などは、常のことなり。「桟敷構ふる」など言ふべし。「護摩焚く」と言ふも、わろし。「修する」「護摩する」など言ふなり。「行法も、法の字を清みて言ふ、わろし。濁りて言ふ」と、清閑寺僧正仰せられき。常に言ふ事に、かかる事のみ多し。
-- 徒然草 160 --