壊れゆくメロディ

剥製

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「ボクは彼女の剥製と遠く異郷の旅をする」 ソビエトの映画カメラマン、ティッセーはそう言ってストックホルムを出る。のち十月革命で映画写真委員会に加わり多くの歴史的記録を残す彼も、当時は一介の学生にすぎなかった。恋人の剥製を背負い彼は祖国を捨てた。

「行き先が決まっていないなら、ジャポンに行ってみるがいいさ。そこではまだ神様も動物も人間もあまり区別がないからさ」と、出会った魚が教えてくれる。陸を歩く南米の肺魚。地元名ロラッハ。彼はとてもおしゃべりで、あることないことベラベラと喋る。

「もしもジャポンに行くならさ、その国の王様スサノヲを訪ねればいいさ。あいつは海原、根の堅州国というところで今日も威張っているからさ」

アトランダ空港の待合室。剥製の少女は冷たい目で、じっと遠くを見つめている。混沌の世界ジャポン。それも面白いかもしれない。ティッセーは彼女の髪を撫でながら喋るロラッハの口元を見る。

ある秋の夕暮れ。私は古びたホテルのロビーでパリの外交官ブリエンヌとハービーの剥製について議論を交わす。窓の外にはどこまでも広がるマロニエの並木道。遠くシャンゼリゼをのぞむ豪奢な風景。静かにピアフの歌声が響く。

「即ち其れ芸術の極み也」とブリエンヌは大上段に構えたのち「天然の産み出したあらゆる素材は彼の手で一度細かく解体され、より美しき人工造形物として生まれかわる。彼には自然を分解する天賦の才が有るわけだ」と鼻息荒く続ける。

私は紅茶にミルクを入れ「いかに彼が天才であろうと自然にかなうすべはなかろう。自然は超越する存在。人工物は結局、相対としての存在」などと答える。小林秀雄の言葉を借りるならば「すべての判断を拒絶して存在するものだけが美しい」等々。パリの街角にパラパラと小雨が降り出す。

剥製の少女はマリーパスモア。ブロンドの髪と小生意気な口唇を持つ少女。彼女は十七歳の時、不慮の事故で命を落とす。事故の詳細は誰も知らない。ただ言えることは彼女はその死後、ほとんど間をおかず剥製師ハービーの手によって剥製となったということ。彼女はまるで生きているように瑞々しく、美しいまま剥製となった。

「シュバルツコップの公演に行ってきたよ。たまにはオペラもいいものさ」と枯れ木のような声でティッセーは言う。 サラトフ州北西部の小さな街ペトロフスク。

「ハービーは一緒じゃなかったのかい?」

「彼は今、エジプトだって聞いたね。でもなんで私とハービーが一緒にいると思ったんだい?」

ティッセーは不思議そうに私の顔を覗き込み、私は濃いウオツカを口に含む。

その年の暮、南米に面白い魚がいたとハービーは私に一匹の魚の剥製を売った。哀れなるロラッハ。おしゃべりな彼はすっかり内臓をくりぬかれ、ただの肺魚の置物と化した。私はオフィスの隅に大きな水槽を買ってきて、彼の作り上げた剥製を中心に幻想的なジオラマを組んだ。 なるほど、自然に楯突いているわけじゃない。彼の剥製は美しい。生きていた頃の何倍も。このロラッハは美しい。ハービーに命を奪われて、肺魚は永遠の美を手に入れた。

「彼の芸術は自然そのものの再構築。ブリエンヌの言葉にも一理あったということか」。

その夜、私はティッセーの宿からマリーパスモアを盗み出し、肺魚の水槽の中に入れた。彼女はまるで人魚のように、美しく泳いだ。


イラスト:堂野こむすい va1504-008『肺魚』)

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このページは、komusuiが2015年4月21日 11:16に書いた記事。

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