第11話 スチール・レクタングル 004

 透明になった被験者はまず己の手や足の存在を忘れるようになり、次いで声が自分のものと思えなくなる。そのうち時間や空間の感覚が曖昧になり、自分の思考と他人の記憶が混戦してしまうようになる。さらに時間が経過すると、「自分はどこにも存在しない」という感覚におそわれるようになり、そして自我そのものが拡散し、幽体化してしまう。「透明の肉体に意識は居続けられないのですか?」と涼太は尋ねた。マ・ムーシーは頷いて、「そう、肉体が透明になるとはどうもそういうものらしいのだ」と答え、「セラフィム博士が言うところによると、それは幽散現象というもので、自分の肉体が見えなくなった生き物は自己位置情報(プロプリオセプション)が自身の身体と乖離し、意識が物理的身体を知覚できなくなるためにおこるらしい」と少し詳しく説明を加えたあと、「その幽体化した意識を収容する装置として博士が新たに開発したのがスチール・レクタングル、あの鋼鉄の棺なのだ」と宣言するように言った。それからポツポツとこんな話をした。「スチール・レクタングル。あれの構造がどうなっているかはセラフィム博士以外に誰も知らない。しかしあれが出来てからは、確かに被験者の意識はあの中に吸収されていったようだ。まさに鋼鉄の棺、意識の墓標としての機能を発揮したわけだ。彼にとってもそこまでは計算通りであった。ところがスチール・レクタングルが機能しだすと、その現象として、あの黒い蒸気を吐くようになった。あの蒸気は博士にとって計算外の出来事であったらしい。博士はそれより悩みこむ日が多くなった」「セラフィム博士はまさに狂気と狂気の狭間をゆく天才であったよ。その天才が完璧を求めすぎて、やがて自らをこの世から消したのだ」