01_浦島子伝 01-01
穴があったら必ず落ちる。人生とはそのようなものだとボクは思う。油断じゃない。決して油断じゃない。穴は落ちるように出来ている。そういう仕組みなのである。
例えば彼女はつい先ほどまで亀であったのに、今ふと見ると絶世の美女になっていて、それがどれほどの美女かというと、彼女のカンバセを見た途端、南威はタモトをおおって魂を失い、西施はあわててコタツにもぐり込んで、頭かくして尻かくさず、といった塩梅。その尻の着物がめくれてお尻が丸出しだったらたいそう面白かろうが、そこまでは想像しなくてもよろしい。
ともかく彼女、年の頃ならニハチの十六。峨眉山に出た初月のような眉に、銀河を流れる星のようなえくぼ。ほっそりした体は雲がかろうじて形を成しているようであるし、軽やかなる身のこなしは、まるで鶴が今にも飛び立とうとするが如き。この穴に落ちずして何で男と生まれた甲斐のあらんことか。酒は飲め飲め、穴には落ちろ。南威も西施もどんと来い。ついでに楊貴妃も王昭君も虞美人も貂蝉も、なんでもかんでもどんと来い。小野小町も、静御前も。そう、穴は落ちるためにあるのである。穴があったら必ず落ちる。人生とはそういったものなのである。世界は落とし穴で出来ている。かの有名な劇作家ケラリーノ・サンドロヴィッチ氏も言っているではないか。大穴の中の大穴の安全、ある雨上がりの昼下がり。穴に落ちればそこに穴の娘が現れ。つまり今回の場合は亀が絶世の美女となったが、さあ、この穴に落ちずして、どうして男と言えようか。