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為兼大納言入道、召し捕られて、武士どもうち囲みて、六波羅へ率て行きければ、資朝卿、一条わたりにてこれを見て、「あな羨まし。世にあらん思ひ出、かくこそあらまほしけれ」とぞ言はれける。

-- 徒然草 153 --

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29日から梅雨入りしたようです。今日も雨。

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写真は八重咲きドクダミです。たくさん生えているけれど、珍しい種類みたいです。


今朝は熱、大丈夫そうです。思ったより長引いています。

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バラが咲きました。


今日はしとしと雨です。カエルがケロケロ鳴いています。

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身死して財残る事は、智者のせざる処なり。よからぬ物蓄へ置きたるもつたなく、よき物は、心を止めけんとはかなし。こちたく多かる、まして口惜し。「我こそ得め」など言ふ者どもありて、跡に争ひたる、様あし。後は誰にと志す物あらば、生けらんうちにぞ譲るべき。

朝夕なくて叶はざらん物こそあらめ、その外は、何も持たでぞあらまほしき。

-- 徒然草 140 --

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家にありたき木は、松・桜。松は、五葉もよし。花は、一重なる、よし。八重桜は、奈良の都にのみありけるを、この比ぞ、世に多く成り侍るなる。吉野の花、左近の桜、皆、一重にてこそあれ。八重桜は異様のものなり。いとこちたく、ねぢけたり。植ゑずともありなん。遅桜、またすさまじ。虫の附きたるもむつかし。梅は、白き・薄紅梅。一重なるが疾く咲きたるも、重なりたる紅梅の匂ひめでたきも、皆をかし。遅き梅は、桜に咲き合ひて、覚え劣り、気圧されて、枝に萎みつきたる、心うし。「一重なるが、まづ咲きて、散りたるは、心疾く、をかし」とて、京極入道中納言は、なほ、一重梅をなん、軒近く植ゑられたりける。京極の屋の南向きに、今も二本侍るめり。柳、またをかし。卯月ばかりの若楓、すべて、万の花・紅葉にもまさりてめでたきものなり。橘・桂、いづれも、木はもの古り、大きなる、よし。

草は、山吹・藤・杜若・撫子。池には、蓮。秋の草は、荻・薄・桔梗・萩・女郎花・藤袴・紫苑・吾木香・刈萱・竜胆・菊。黄菊も。蔦・葛・朝顔。いづれも、いと高からず、ささやかなる、墻に繁からぬ、よし。この外の、世に稀なるもの、唐めきたる名の聞きにくく、花も見慣れぬなど、いとなつかしからず。

大方、何も珍らしく、ありがたき物は、よからぬ人のもて興ずる物なり。さやうのもの、なくてありなん。

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「祭過ぎぬれば、後の葵不用なり」とて、或人の、御簾なるを皆取らせられ侍りしが、色もなく覚え侍りしを、よき人のし給ふ事なれば、さるべきにやと思ひしかど、周防内侍が、

かくれどもかひなき物はもろともにみすの葵の枯葉なりけり

と詠めるも、母屋の御簾に葵の懸りたる枯葉を詠めるよし、家の集に書けり。古き歌の詞書に、「枯れたる葵にさして遣はしける」とも侍り。枕草子にも、「来しかた恋しき物、枯れたる葵」と書けるこそ、いみじくなつかしう思ひ寄りたれ。鴨長明が四季物語にも、「玉垂に後の葵は留りけり」とぞ書ける。己れと枯るるだにこそあるを、名残なく、いかが取り捨つべき。

御帳に懸れる薬玉も、九月九日、菊に取り換へらるるといへば、菖蒲は菊の折までもあるべきにこそ。枇杷皇太后宮かくれ給ひて後、古き御帳の内に、菖蒲・薬玉などの枯れたる侍りけるを見て、「折ならぬ根をなほぞかけつる」と辨の乳母の言へる返事に、「あやめの草はありながら」とも、江侍従が詠みしぞかし。

-- 徒然草 138 --

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花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬも、なほ、あはれに情深し。咲きぬべきほどの梢、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ。歌の詞書にも、「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障る事ありてまからで」なども書けるは、「花を見て」と言へるに劣れる事かは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊にかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所なし」などは言ふめる。

万の事も、始め・終りこそをかしけれ。男女の情も、ひとへに逢ひ見るをば言ふものかは。逢はで止みにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜を独り明し、遠き雲井を思ひやり、浅茅が宿に昔を偲ぶこそ、色好むとは言はめ。望月の隈なきを千里の外まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ち出でたるが、いと心深う青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木の間の影、うちしぐれたる村雲隠れのほど、またなくあはれなり。椎柴・白樫などの、濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身に沁みて、心あらん友もがなと、都恋しう覚ゆれ。

すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまも等閑なり。片田舎の人こそ、色こく、万はもて興ずれ。花の本には、ねぢより、立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、果は、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手足さし浸して、雪には下り立ちて跡つけなど、万の事、よそながら見ることなし。

さやうの人の祭見しさま、いと珍らかなりき。「見事いと遅し。そのほどは桟敷不用なり」とて、奥なる屋にて、酒飲み、物食ひ、囲碁・双六など遊びて、桟敷には人を置きたれば、「渡り候ふ」と言ふ時に、おのおの肝潰るるやうに争ひ走り上りて、落ちぬべきまで、簾張り出でて、押し合ひつつ、一事も見洩さじとまぼりて、「とあり、かかり」と物毎に言ひて、渡り過ぎぬれば、「また渡らんまで」と言ひて下りぬ。ただ、物をのみ見んとするなるべし。都の人のゆゆしげなるは、睡りて、いとも見ず。若く末々なるは、宮仕へに立ち居、人の後に侍ふは、様あしくも及びかからず、わりなく見んとする人もなし。

何となく葵懸け渡してなまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて寄する車どものゆかしきを、それか、かれかなど思ひ寄すれば、牛飼・下部などの見知れるもあり。をかしくも、きらきらしくも、さまざまに行き交ふ、見るもつれづれならず。暮るるほどには、立て並べつる車ども、所なく並みゐつる人も、いづかたへか行きつらん、程なく稀に成りて、車どものらうがはしさも済みぬれば、簾・畳も取り払ひ、目の前にさびしげなりゆくこそ、世の例も思ひ知られて、あはれなれ。大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ。

かの桟敷の前をここら行き交ふ人の、見知れるがあまたあるにて、知りぬ、世の人数もさのみは多からぬにこそ。この人皆失せなん後、我が身死ぬべきに定まりたりとも、ほどなく待ちつけぬべし。大きなる器に水を入れて、細き穴を明けたらんに、滴ること少しといふとも、怠る間なく洩りゆかば、やがて尽きぬべし。都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。一日に一人・二人のみならんや。鳥部野・舟岡、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし。されば、棺を鬻く者、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思ひ懸けぬは死期なり。今日まで遁れ来にけるは、ありがたき不思議なり。暫しも世をのどかには思ひなんや。継子立といふものを双六の石にて作りて、立て並べ「たるほどは、取られん事いづれの石とも知らねども、数へ当てて一つを取りぬれば、その外は遁れぬと見れど、またまた数ふれば、彼是間抜き行くほどに、いづれも遁れざるに似たり。兵の、軍に出づるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。世を背ける草の庵には、閑かに水石を翫びて、これを余所に聞くと思へるは、いとはかなし。閑かなる山の奥、無常の敵競ひ来らざらんや。その、死に臨める事、軍の陣に進めるに同じ。

-- 徒然草 137 --

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医師篤成、故法王の御前に候ひて、供御の参りけるに、「今参り侍る供御の色々を、文字も功能も尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草に御覧じ合はせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ」と申しける時しも、六条故内府参り給ひて、「有房、ついでに物習ひ侍らん」とて、「先づ、『しほ』といふ文字は、いづれの偏にか侍らん」と問はれたりけるに、「土偏に候ふ」と申したりければ、「才の程、既にあらはれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしき所なし」と申されけるに、どよみに成りて、罷り出でにけり。

-- 徒然草 136 --

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サクランボの季節になりました。また遊びにきてください。

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資季大納言入道とかや聞えける人、具氏宰相中将にあひて、「わぬしの問はれんほどのこと、何事なりとも答へ申さざらんや」と言はれければ、具氏、「いかが侍らん」と申されけるを、「さらば、あらがひ給へ」と言はれて、「はかばかしき事は、片端も学び知り侍らねば、尋ね申すまでもなし。何となきそぞろごとの中に、おぼつかなき事をこそ問ひ奉らめ」と申されけり。「まして、ここもとの浅き事は、何事なりとも明らめ申さん」と言はれければ、近習の人々、女房なども、「興あるあらがひなり。同じくは、御前にて争はるべし。負けたらん人は、供御をまうけらるべし」と定めて、御前にて召し合はせられたりけるに、具氏、「幼くより聞き習ひ侍れど、その心知らぬこと侍り。『むまのきつりやう、きつにのをか、なかくぼれいり、くれんどう』と申す事は、如何なる心にか侍らん」と申されけるに、大納言入道、はたと詰りて、「これはそぞろごとなれば、言ふにも足らず」と言はれけるを、「本より深き道は知り侍らず。これはそぞろごとを尋ね奉らんと定め申しつ」と申されければ、大納言入道、負になりて、所課いかめしくせられたりけるとぞ。

-- 徒然草 135 --

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高倉院の法華堂の三昧僧、なにがしの律師とかやいふもの、或時、鏡を取りて、顔をつくづくと見て、我がかたちの見にくく、あさましき事余りに心うく覚えて、鏡さへうとましき心地しければ、その後、長く、鏡を恐れて、手にだに取らず、更に、人に交はる事なし。御堂のつとめばかりにあひて、籠り居たりと聞き侍りしこそ、ありがたく覚えしか。

賢げなる人も、人の上をのみはかりて、己れをば知らざるなり。我を知らずして、外を知るといふ理あるべからず。されば、己れを知るを、物知れる人といふべし。かたち醜けれども知らず、心の愚かなるをも知らず、芸の拙きをも知らず、身の数ならぬをも知らず、年の老いぬるをも知らず、病の冒すをも知らず、死の近き事をも知らず、行ふ道の至らざるをも知らず。身の上の非を知らねば、まして、外の謗りを知らず。但し、かたちは鏡に見ゆ、年は数へて知る。我が身の事知らぬにはあらねど、すべきかたのなければ、知らぬに似たりとぞ言はまし。かたちを改め、齢を若くせよとにはあらず。拙きを知らば、何ぞ、やがて退かざる。老いぬと知らば、何ぞ、閑かに居て、身を安くせざる。行ひおろかなりと知らば、何ぞ、玆を思ふこと玆にあらざる。

すべて、人に愛楽せられずして衆に交はるは恥なり。かたち見にくく、心おくれにして出で仕へ、無智にして大才に交はり、不堪の芸をもちて堪能の座に列り、雪の頭を頂きて盛りなる人に並び、況んや、及ばざる事のみ望み、叶はぬ事を憂へ、来らざることを待ち、人に恐れ、人に媚ぶるは、人の与ふる恥にあらず、貪る心に引かれて、自ら身を恥かしむるなり。貪る事の止まざるは、命を終ふる大事、今ここに来れりと、確かに知らざればなり。

-- 徒然草 134 --

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夜の御殿は、東御枕なり。大方、東を枕として陽気を受くべき故に、孔子も東首し給へり。寝殿のしつらひ、或は南枕、常の事なり。白河院は、北首に御寝なりけり。「北は忌む事なり。また、伊勢は南なり。太神宮の御方を御跡にさせ給ふ事いかが」と、人申しけり。ただし、太神宮の遥拝は、巽に向はせ給ふ。南にはあらず。

-- 徒然草 133 --

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