(ほとけ)仏は常(つね)にいませども、現(うつつ)ならぬぞあはれなる、人の音(おと)せぬ暁(あかつき)に、ほのかに夢に見え給(たま)ふ。
-- 梁塵秘抄 026 --
KOMUSUI ICHIZA KAMISHIBAI
(ほとけ)仏は常(つね)にいませども、現(うつつ)ならぬぞあはれなる、人の音(おと)せぬ暁(あかつき)に、ほのかに夢に見え給(たま)ふ。
-- 梁塵秘抄 026 --
仏(ほとけ)は様々(さまざま)にいませども、まことは一仏なりとかや、薬師も弥陀も釈迦弥勒も、さながら大日とこそ聞け。
-- 梁塵秘抄 025 --
釈迦の御法(みのり)のうちにして、五戒三帰をたもたしめ、一度(ひとたび)南無といふ人は、花の苑(その)にて道(みち)成(な)りぬ。
-- 梁塵秘抄 024 --
釈迦牟尼仏(ほとけ)は薩埵王子(さたわうじ)、弥勒文殊は十二の子(こ)、浄飯王は最初(さいそ)の王(わう)、摩耶は昔(むかし)の夫人なり。
-- 梁塵秘抄 023 --
釈迦の正覚なることは、この度(たび)初(はじめ)と思(おも)ひしに、五百塵点劫よりも、彼方(あなた)に仏(ほとけ)と見え給ふ。
-- 梁塵秘抄 022 --